【特別編】横倉義武 日本危機管理医学会代表理事/日本医師会名誉会長
医師の健康を確保し、医療の質・安全を向上させることを目的に医師の働き方改革がスタートして約1年が経過した。医療DXや複数主治医制、タスクシフト・タスクシェアなど現場では、診療の効率性を高めるためのさまざまな工夫が行われるようになっている一方、若い医師の研鑽の機会の減少やモチベーションの低下などが危惧されている。この医師の働き方改革や医師のモチベーションの向上、今後の医師のあり方などについて、日本医師会長を4期8年、世界医師会長も務められた横倉義武先生と、医療現場の課題を解決するために、医師同士が情報を共有できるプラットフォーム構築に取り組むアンター株式会社代表取締役の中山俊先生に話し合ってもらった。
『最新医療経営PHASE3』2025年6月号(発行:日本医療企画)
最初に何を学ぶべきか
臨床研修制度見直しの時期
中山 医師の働き方改革が始まってから約1年が経ちました。医療現場では問題点を含めてさまざまな指摘がなされています。横倉先生は現在の医師の働き方改革に対してどのようなご意見をお持ちですか。
横倉 かなり昔の話になりますが、ドイツ語の教科書に、手術中にもかかわらず、「時間が来た」と手術室を出ていく医師の寓話がありました。当時は笑っていましたが、近い将来、日本でも現実になってしまうのではないかと危惧しています。もちろん、「術後の患者さんに寄り添うために1週間も病院に泊まり込む」といった、我々の若いころのような働き方は論外ですが、患者さんよりも医師の予定が優先されるというのは少し違うと思います。
たとえ、自分の予定を変更してでも、患者さんを助けるために自分ができる最大限の努力を尽くすのが医師の仕事です。これが働き方改革によって、ないがしろにされてしまわないかが気がかりです。もちろん、医師も1人の人間であり、仕事と生活のバランスがとれるようにすることは大切です。この考え方は私自身、昔から持っており、大学病院で教育スタッフをしていたときには、術後のICUチームを立ち上げ、24時間勤務すると48時間オフになるという仕組みをつくりました。
中山 医師の働き方改革を推進するにあたっては、患者さんを救うために全力を尽くすのはもちろん、アウトカムを上げるために日々研鑽するなど、医師が本来果たすべき役割を全うするというのが大前提条件になるということですね。
ただ、働き方改革が始まって以降、「定時には帰って、研鑽は医師一人ひとりで勤務時間外にしてください」という流れになっています。それによって若い医師が働き甲斐ややりがいを感じたり、学んだりできる機会が減っていると感じます。若い医師が高いモチベーションを持てるようにするにはどんな取り組みが必要だと考えていますか。
横倉 現在の臨床研修制度を見直す必要があると考えています。医師になって最初の2年間は、医師としてのモラルや患者さんへの寄り添い方など、医療関係者から仕事上で学べることを身に付ける、非常に大事な時期です。現在の臨床研修制度だと、その大切な2年間が見学実習に近い形になってしまっています。
実際に医学教育にかかわっている先生方と話をすると、初期臨床研修の2年間で仕事に対するモチベーションを落としている医師が増えていると聞きます。私見ですが、初期臨床研修は1年間で救急医療と基本的な内科診断学を学び、次のステージに進むのが良いと考えています。この時期にきちんと教えるべきものは何か、果たして2年間も必要なのか、きちんと議論していく時期に来ていると思います。
中山 私の初期研修病院は敷地内に研修医の寮がありました。そのため、何かあるとPHSに連絡が入り、意見を求められました。当時は大変でしたが、これによって医師としての責任感が芽生えたことを覚えています。
働き方改革では複数主治医制などのチーム医療がクローズアップされていますが、医師の責任感ややりがいの育成を考えた場合、従来の主治医制が果たしてきた役割は大きいと思います。
横倉 同感です。最終的に「患者さんに対する責任は医師がとる」という責任感が、安全な医療に対する高い意識や向上心、医療倫理などの医師とのあり方を考える原動力になると思います。これを若い時にしっかりと身に付けることが大切です。
我々のころはベテラン医師と若い医師が接する機会も多く、こうしたことを叩き込まれました。もちろん、やりすぎるとブラック企業的になってしまいますが、何事もバランスが大切です。
中山 確かにベテラン医師と若手医師の人間関係が刹那的になっていると感じます。一昔前の大学医局に対しては、徒弟制度的だとの批判もありましたが、先輩後輩の関係性での学びを得られやすいなど良い面もあったと思います。
臨床スキルはもちろん、医師としてのあり方や患者さんとの距離感、寄り添い方などを仕事のなかで学べました。働き方改革でこうした人間関係が失われるとなると非常に残念です。
横倉 昔の医局は教授をトップに家族のような関係でしたが、現在は教授をはじめ年配の医師が若い医師に気を遣っているような状況です。医学部所属の医師は大学から教育・研究職としての給与が支払われていますが、ここに臨床医としての給与は含まれていません。現場の医療職としての給与も加えて要求すべきだと思います。
持続性確保に全力を尽くす
医師会活動のやりがい
中山 横倉先生は大学病院の教育者や臨床医を経て、郡市区等医師会、県医師会、そして日本医師会長も務められました。そもそも医師会活動に参加するきっかけは何だったのですか。
横倉 大学病院の教育スタッフを務めた後、実家の病院に戻って地域医療に従事していました。当時は集団ワクチン接種の時代で地域住民への健康教育なども医師会の担当で行政との交渉も行っていました。当時、「一番若いのだから君が交渉を担当せよ」と先輩方に言われ、医療行政や法律、各種制度などについて勉強し、行政との交渉を担当するようになりました。こうした活動を行う中で、地域医療を最適化していくためには、多くの医師が協力しやすい環境づくりと、その担い手である医師会の仕事の重要性に気がつき、医師会活動に力を入れるようになったのです。
中山 臨床医の場合、「患者さんの命を救うことができた」「患者さんや家族に喜んでもらえた」ことがやりがいにつながると思います。一方、医師会活動に対してどのようなやりがいを感じていたのですか。
横倉 国民が困らないように、本当に良い医療を持続的に提供できるような仕組みをつくる、医師会の活動は非常にやりがいのある仕事だと思います。もちろん、診療報酬改定や医療制度改革など、多くのステークホルダーが関係するものなので、マクロ的な視点から全体最適につながるような意見調整等も求められます。当然、病院だけ、診療所だけを優先するようなことはできません。そのため、ときには誹謗中傷されることもありましたが、患者さんのための医療の持続可能性を高めることを優先してやってきました
また、医師会活動をしていたからこそ、さまざまな人たちと交流を持てるようになりました。これも魅力ややりがいの1つだと思います。
中山 「医師会に入会するとどんなメリットがあるのか」と損得論で考える医師もいるようですね。
横倉 そもそも、損得論で考えて医学部に進むとそういう発想になってしまいます。お金を稼ぐことができる仕事はたくさんあるし、経済的なメリットを追求するのであれば、医師以外の道を選択すべきでしょう。また、日本医師会長時代から繰り返し言っていますが、医師としては患者さんが望むことをしっかりとやっていくこと、医師会としてはそれができる仕組みをつくることが重要です。お金は後からついてくるものだと思います。
中山 最近は医師の倫理を問われるような問題も生じています。受験難易度だけで医学部を選ぶ人も増えるなか、学生教育で医師の在り方をもっと教える必要があると思います。ただ、覚えることが多すぎてなかなか難しい面もあります。
横倉 記憶に頼るような領域については近い将来、AIに置き換わるでしょう。それでも最終的な責任をとるのは医師ですから、倫理観やコミュニケーション力をきちんと身に付けることが重要です。
感染症と自然災害に強い国をつくることが大切だ
中山 現在は一般社団法人日本危機管理医学会を立ち上げられ、代表理事に就かれています。今年2月には第1回学術総会を開催されました。新たな活動の領域として危機管理を選ばれたのはなぜですか。
横倉 日本は非常に災害が多い国です。新型コロナもありましたし、今後は感染症と自然災害にレジリエンスのある国づくりをしていく必要があると考えています。
中山 レジリエンスのある国をつくっていくためにはどんなことが重要になりますか。
横倉 最も大切なのは、お互いに助け合う精神を社会に定着させることです。これを象徴するものが、国民皆保険制度です。最近は財政的な観点から、国民皆保険制度を大きく見直そうという動きが出てきています。収入がある高齢者が増えてきたこともあり、負担の仕方などに多少の見直しは必要かもしれません。ただ、精密につくりあげられた仕組みなので一気に進めるのではなく、人口動態に合わせて少しずつ見直していくべきです。日本は平和な社会として世界的にも高い評価をされていますが、その根底には「病気をしたときには平等に診てもらえる」という皆保険制度の安心感があると思います。この素晴らしい仕組みを維持していくためにも、お互いに助け合う思いやりの精神を育んでいくことが大切です。
将来に対しては、外科医の減少も危惧しています。現在、多くの病院で手術をしているのは50代以上が中心です。当然、20年後にはリタイアしていきますが、これに続く世代の外科医が減っていることは不安です。これについては専門医の症例数のハードルを上げたことが、ボトルネックの1つになっています。良かれと思ってやったことが裏目に出てしまったのでしょう。基本領域とサブスペシャリティ領域での症例数など、外科専門医の仕組みは少し考えなおす必要があると思います。
中山 本来、外科手術は医師としてのやりがいの1つであるにもかかわらず、私も含め研修病院の同期で一般外科に進む人はいませんでした。若い外科医は人数も少ないため孤独だと思います。確かにこうした外科医を大切に育てていくための仕組みづくりは再考する必要があると思います。本日はありがとうございました。
横倉 義武┃よこくら たけし
1944年、福岡市生まれ。69年、久留米大学医学部卒業。77年、医学博士取得。77〜79年、ドイツ留学。帰国後は大学に戻り、外科医として臨床・研究・後進の育成に携わる。87〜2002年、大牟田医師会監事、理事。90〜06年、福岡県医師会理事、専務理事、副会長。06〜10年、福岡県医師会長。10〜12年、日本医師会副会長。12〜20年、日本医師会長。17〜18年、世界医師会長。21年、旭日大綬章受章
(『最新医療経営PHASE3』2025年6月号 発行:日本医療企画)
