病院の外にある人の暮らしの大切さと叶えたい社会 中編│ファミリーヘルスクリニック北九州│進谷 憲亮先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、そこに至るまでの障壁や葛藤、そしてその先にある景色についてお話を伺っています。
今回は、福岡県北九州市で家庭医療を担うクリニックを開業する、進谷 憲亮先生(ファミリーヘルスクリニック北九州/院長)にインタビューを行いました。
中編では、進谷 憲亮先生のキャリアのターニングポイントについて、じっくりとお話を伺いました。

>>前編『「あなたの人生最高だったよ」最期の瞬間まで関われる存在になりたくて』はこちら
>>後編『まさに今がターニングポイント!ともに育みともに育つ仲間を求めて』はこちら

目次

忘れられない患者さんとの出会い

Antaa 加藤

初期研修修了後は、NPO立ち上げやジャパンハートの活動でカンボジアへ行かれたり、アンターでも事業マネージャーとして関わっていただいたりと、多様なフィールドで活躍されていらっしゃいます。

進谷先生にとってキャリアのターニングポイントを教えていただけますか。

進谷先生

一番は初期研修2年目の時の患者さんとの出会いです。
病院の中から外に出ないとという急性期の病院での課題意識が芽生えたきっかけとなった出会いです。
呼吸器内科ローテートが始まったばかり(当時、指導医が長期間不在だった汗)の時に、整形外科から骨折で入院中にちょっと気胸を起こしてしまった患者さんがいると周ってきたんです。蓋を開けてみたら、高熱で血液培養から真菌が出てて、重症の感染症を起こしていました。そこから2~3日泊まり込んで、当直してた別の診療科の上級医の先生とかに相談しながら治療を行って、かなり必死で頑張ったんですよね。
その患者さん(鈴木さん(仮名))は、元々口からものを食べれない状況で体の状態もかなり衰弱していたので、ほとんど寝たきりで奥様と2人暮らしでした。娘さんがいるんですけど、一緒には暮らしてないので主に介護者は奥様中心でした。

進谷先生

幸いにも鈴木さんは病状が落ち着いて、今からこの方はどうしていくのかっていうときに、ご本人さんももうカスカスの声なんですけど「家に帰りたい」「死んでもいいから口からも食べたい」ということを僕に一生懸命伝えてくれたんですよね。
でもやっぱり、家に帰ること一つとっても、奥様は今の状況で1人で介護なんてできないし、口から物を食べてもらうかってなっても病院という場ではリスクばかりで。本当に何回も、何回も、病棟でリハビリの方も呼んでケースカンファレンスをお願いしました。それでも首は縦には振られず、そこには医療者の僕らとしても、ご家族としても、まずは生きてほしいという思いがあったと思うんです。

進谷先生

最終的に転院となったのですが、転院されたその日の夜に亡くなったと2日後に知りました。転院到着当時は落ち着いていたそうなのですが、夜中に急変されました、という一文だけが返ってきて。
もう、なんというか、僕にとってすごい衝撃で…。
あの「生きてほしい」という思いは僕たちのエゴだったかもしれない…。
きっと鈴木さんは、家に帰りたかっただろうし、食べたかっただろう。なのに僕らのエゴを押し付けて、行きたくもない場所に行ってもらった挙句、生きてもらえなかった。
自分のやってきたことにすごい疑問と、患者さんの人生がその後どうなってるか、もう全然わからない、見えないという状況に不安が湧き上がってきました。本当にこれでいいのかな、と。

進谷先生

今のこの急性期医療っていうのを見たときに、自分たちのやってることに疑問を持ちながら、僕と同じように悩んでる医療者がいるんじゃないか、そんな現場を目の当たりにすることがあるわけです。
医療がすごく発達した結果、本当に今の日本の医療の課題って”「治すや救う」だけじゃない”んじゃないかなって思い始めてですね。
そこから病院の外に意識が向くようになりました。
初期研修医2年目のときの鈴木さんとの出会いが、医師3年目以降の自分の在り方を変えたきっかけかなと感じています。
今も折々で鈴木さんのことを思い返すことがあります。

多様なフィールドでのキャリア形成、病院の外へ意識

進谷先生

ちょうどその頃、大学時代に出会った学校教育の場での講演会等を一緒に企画してくれる友人と色々取り組む中で、NPOとして形にしたいっていう相談をもらいました。
そこで初めて病院の外に出てみると、医療者って本当に世間知らずというか、当時僕は福祉・介護の制度のことも知らなければ、そもそも社会の在り方とか、もう全然何もわからなかったんです。
そもそも病院の外にある人の暮らしの場はどうなってるのか、”病気になる場所、そして病気を治して帰る場所というその地域について、僕は今何も知らない”と気づきました。完全に未知の領域ですね。
そこからは病院だったりとか、島だったりとか、場所問わずの医者として診療にどっぷりになる時間を持ちつつも、医療者以外の人と接する機会や医療以外のものに触れる機会っていうものを自分から意識的に作っていきました。
何が今求められているのかを知りたいという思いが原動力かもしれません。

Antaa 加藤

病院の外にある人の暮らしを知りたい、求められていることを知りたい、そんな思いが多様なフィールドでの活動につながったのですね。
ただ、後期研修医の期間というのは自由に時間を使って動くというのは少し勇気がいることで、悩まれたりしたことはありますか?

進谷先生

幸いなのは僕のこの在り方に対して、急性期の病院の周りの方にしても、専門科としてスペシャリティを持ってる先生方からも、あまり否定されたことなかったんですよ。
ありがたいことに「そのままでいなさい」って言っていただけることのほうが多くて。
自分の中の価値観として社会的なキャリアっていうものにあんまり関心がなくて、”進谷憲亮として人生どう生きていくのか”が一番の関心事項だったっていうのもあると思います。

進谷先生

例えば自分のやりたいことや、やるべきことは、いわゆる肩書きじゃないものかなと思っています。正直なところ、医者という肩書きがそれと一致しなくなれば、僕は一つの肩書きはいつ捨ててもいいって思っちゃってる人間なんですよね。それは別に安直に考えてるとかではなくて、もっと大事なものとして、自分が何をしたいかっていうところをやっぱ持っていたいし、持ってると思ってます。
それに、僕1人がそういう自分の思うままに生きても社会は困らないっしょ、て思っている面もあります(笑)
何なら社会にとって何が求められてるか追求したいし、そのために今自分はどうあるべきなのか、にすごく関心があったんで、悩むという意味では僕は今はどこをやった方がいいのか、みたいなことをすごく悩んでいました。結果的に外に出て、外を知れば見えてくるものがあって、課題意識だけが芽生え続けていましたね。

進谷先生

安井佑先生(医療法人社団焔(ほむら)理事長/TEAM BLUE 代表)と新宿で初対面でご飯させてもらったときに、いろいろ課題意識だけを話していたら、「進谷くんは一度途上国に行った方がいいよ」って一言言われて。その日のうちに途上国にいくことを決めました。
本当に一言言われただけなんですが、翌日に安井先生にメールでお礼と「途上国行きます」って送ったら、僕そんなこと言ったっけって返事が返ってきて、この人みんなに言ってるなと思いました(笑)
でも次にお会いしたときに、途上国行きを勧めて本当に行ったのは進谷くんだけだよ、とも言ってもらえたので嬉しかったです。

Antaa 加藤

キャリアに思い悩むというよりは、動きながら行動しながら進んでいくスタイルですね。

進谷先生

たしかに。とりあえず動いて立ち止まることなく、いろんなことしていたので、なんていうか、自分のキャリアのつくり方はよくわかっていないです(笑)

ターニングポイントはまさに今!開業2年半の苦悩

Antaa 加藤

これまでの進谷先生のキャリアで壁にぶち当たったことはありますか?

進谷先生

開業してからが一番自分にとっては壁が多かったのかなと思っています。
開業に至ったのは、NPOを立ち上げた当時から将来は自分たちの何かの形となる箱を持つっていうのを話していて、その話が具体化してきた感じです。
開業して、初めてひとつの場所に腰を据える2年半になりました。
また、院長と職員しかいないっていう本当にゼロからの開業で、院長として自分1人の人生ではなくなり、雇用するということ自体や自分自身の経済的なこと、それこそ開業資金の借金だったり、これまで自分の自由にしていた環境とはガラリと変わりました。
本当の意味でクリニックの継続性を考えたときに、現実的には収益を出さないといけないし、周りの方々には知ってもらわなきゃいけないし、患者さんにも知ってもらわなきゃいけない。そんな中で、まだたった2年半ですけど、もう既に職員の出入りってあるわけですよね。
初めて自分で面接した職員が辞めてしまう、クリニック内での人間関係はすごく悩みました。自分と一緒に働くスタッフはみんなハッピーになるんじゃないかなと思ってたんですけど…いや、もう全然そんなことはなくて。

進谷先生

患者さんではない、スタッフ1人を笑顔にすることすら難しい…。人を見るってめちゃめちゃ難しいなと痛感しました。
もう目の前のスタッフのことを、目の前の患者さんのことを、自分のクリニックのことをって、集中・集中・集中!せざるを得なくて、その結果、昔から付き合いのある友人知人からは、ちょっとなんか面白くなくなったね、みたいなこと言われながら。
これまで医者を辞めたいと思ったことないですけど、開業(経営者)は本当にやめたいと思ってしまうことがあったり、それぐらい試練の2年半でした。
でも、すごい自分の中ではこれってきっと大事な時間なんです。

Antaa 加藤

持ち前の行動力でいろんなことに前向きに取り組んできた進谷先生でも、そんなに悩んだり苦しい体験をしたりすることもあるんですね。

進谷先生

でもこの2年半、本当に向き合いきったぞっていう自負はあります。
僕自身は、”目の前の人を幸せにできないのに、手の届かないところにいる人たちを幸せにできるわけじゃない”という考えがあったんですけど、”この経験を経て両立していきたい”と思うようになりました。
自分の”パーソナルに人を見る”っていう部分で目の前のことと向き合うことは大事にしつつ、元々持っている”もっと社会を見る”っていうところも追求していきたい。
ターニングポイントはまさに今ですね。ものすごい今なんですよ。

Antaa 加藤

ようやく峠を超えて乗り越えつつある、まさにその時期なんですね!

進谷先生

実はこの2年半の出来事を初めてインタビューで話しました。
開業、経営を経験して、もうすごい自分の弱さがにじみ出ましたし、たぶん5年後10年後にもっと言葉にできるんでしょうけど、まだうまく言葉にできてないです。
自分でもその変化をすごい感じられているんですよね。
ただただ飛びまわっていた研修医時代とは変わってきてて、これからは飛びもするんですけど、”きちんと地に足つけながら、駆け抜ける”っていう感覚が正しいかもしれません。

進谷 憲亮|総合診療科、家庭医

福岡県苅田町出身
2013年 医学部卒。東京都立多摩総合医療センターにて初期研修及び救急総合診療専門臨床研修修了。2018年、特定非営利活動法人ジャパンハートの長期ボランティア医師として1年間カンボジアでの医療活動に従事。2019年、帰国後は東京都の武蔵国分寺公園クリニックで家庭医として子どもからご高齢の方まで年齢問わず外来診療・在宅医療に携わる。2021年3月に家庭医療専攻医研修を修了し、2021年4月より福岡県済生会八幡総合病院総合診療科医長を務め、2022年1月より北九州市八幡西区本城地区で新規開業。


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