医療体制の仕組みやキャリアに悩み、踏み出した一歩~人との縁がつなぐキャリア~ 前編│あさがおクリニック足立院│吉田耕輔 先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。

今回は、足立区で在宅医療を行う吉田耕輔先生(一般社団法人誠創会あさがおクリニック足立院/院長)にインタビューを行いました。
前編では、吉田先生の医師を目指したきっかけからキャリアチェンジについて、じっくりとお話を伺いました。

>>後編はこちら『悩んだ転職活動と在宅医療を経て、さらにその先へ

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目次

突然の父との別れから医師の道へ

Antaa 加藤

医師を目指されたきっかけを教えてください。

吉田先生

医師を目指したきっかけは小学6年生のときに、父親が急に亡くなってしまったことです。高校で進路選択をするときには漠然と文系に進もうと思っていたのですが、自分の人生を振り返ったときに、そのつらい経験をいい方向で生かしたい思いがありました。社会のためになるような職業って何かなと考えたときに、医師という職業が思い浮かび、目指し始めました。

Antaa 加藤

元々は、お父様が突然亡くなられたことが一番のきっかけであったかと思うのですが、救急科を選択した理由を教えてください。

吉田先生

研修医の期間は、自分の雰囲気や興味などを考えると、泌尿器科や外科といった手術のある科が合っているのかなと思っていました。ただ、やはり原点に立ち返ったときに、自分が医師になった理由が家族の突然の死であり、そのような人、それで悲しむ家族などを少しでも減らしたいと考えたときに、その診療科で良いのかという疑問が生まれました。
泌尿器科でも、がんの患者さんの寿命を少しでも伸ばすような、例えば60歳までの寿命を80歳にすることはできるのですが、目前の死から命を救いあげる「ゼロをイチ」にすることはできません。
救急科であれば、死に際から救い出すことができるという「ゼロをイチ」にする力がある診療科だなと思い、そこに強く魅力を感じたので救急科に進むことを決めました。
また、研修の雰囲気もめちゃくちゃ良くて、厳しいながらも自分で勉強できたという実感もあったので、自分の研修した病院で救急科を専攻するという決断に至りました。

Antaa 加藤

研修先を選ばれるときはいくつか病院を見学したのでしょうか?

吉田先生

卒業が関西の大学で出身は京都だったので、まったく東京には馴染みがなかったのですが、大学時代に打ち込んでいた部活での経験が就活にどれぐらい通用するのかというところを試したくて、東京の2つの有名病院の面接を受けました。
その他はすべて関西の病院を受けたのですが、たまたま東京の病院に採用していただけて、マッチしたという流れです。

Antaa 加藤

研修先の選択ではチャレンジングな選び方をされたんですね。
今回、救急科から在宅医療へと転職活動をしてみていかがでしたか?同じようにチャレンジングな活動だったかと思うのですが。

吉田先生

今振り返ってみると、自分は学生の時と全く変わっていないなと感じましたね(笑)。
就職先を探すときは、よくわからないところに飛び出して「とりあえずやってみる!」というような精神でいたんですが、今回の転職活動も本当に同じような流れをたどっていて、本当にそういう性格なんだなと改めて自分で再認識するきっかけになりました(笑)

コロナ禍に直面した救急医としてのキャリアの悩み、そして母の病気

Antaa 加藤

キャリアのターニングポイントとなった出来事などがあればお聞かせください。

吉田先生

第1のきっかけとして、コロナ禍の影響がありました。ちょうど専攻医1年目だったのですが、病院では人との接触も制限されていました。「ご飯も1人で食べなさい」「外食も1人で行きなさい」「ジムには行ったらダメ」というような、かなり厳しいルールがありました。
社会的にも、命の危険性があるということで恐怖を感じていらっしゃった方が多い時代だったと思います。
僕の親世代や、僕の少し上の世代の方などが突然運ばれてきて亡くなられてしまう。僕たち医師が必死に対応しなければ、救うことができない命がたくさんあると実感して、自分たちの役割をとても実感しながら仕事ができました。
ただ、コロナ禍が明けると通常の状態に戻ったといいますか、超高齢者が多く搬送されてきて、中にはICUに入院、なおかつその大半が緩和治療を受けているという状況に。コロナ禍との大きなギャップに驚かされ、救急医療のあり方について、「本当にこのままでいいのだろうか」と漠然と考えるようになりました。

Antaa 加藤

初期研修の最後から専攻医の途中までずっとコロナ禍の期間だったと思うのですが、モヤモヤされている期間は長かったのでしょうか?

吉田先生

モヤモヤの原因の一つとしては、言い方は悪いのですが、コロナ禍の高い重症度、常にマンパワーが不足している状況の中で働いたことで若い年次ながらかなりの経験値を積むことができた、必然的に考え方も徐々に先のことを考えるようになっていました。
また、救急科特有の課題として、サブスペシャリティを何にするかというところで悩んでいました。外科に進むのか、放射線科でIVRをするのかという分かれ道があるのですが、自分は放射線科にはあまり興味がなく。
ただ、外科に行くとしても再度専攻医からやり直しです。働き方の面でも外科はまだ改革途中でブラックな環境も多いと聞くので、「果たして自分の人生を捧げてやりたいことなのか」という悩みを抱えながら、コロナ禍明けの2年間を過ごしていました。
最初の1年間以外は、ほぼ常に「次はどうしようかな……」ということを考えていたと思います。

Antaa 加藤

救急科でキャリアを続けることに対する悩みをお持ちだったんですね。

吉田先生

「自分がキャリアとして10年、20年かけて何を成し遂げることができるのか……」という不安を感じているなかで、第2のきっかけとして、僕の母が悪性腫瘍のステージ4と診断され、治療薬がなければ余命数ヶ月という、まさに青天の霹靂な状況に直面しました。
元々モヤモヤした気持ちを抱えていた中で、「どのように仕事をして、どのようにキャリアを構築いしていこうか」と仕事中心に考えていた視点が、一気に変化しました。自分の親や家族との時間を、仕事と同等か、それ以上に大切にしていきたい、両立していかなければならないという考えに変わり、そこで転職を決意しました。

悩んだ時はまず一歩外へ、好き嫌いせずに行動した先の人との縁が転機に

Antaa 加藤

次のことを常に考えながら専攻医のプログラムをこなされているなかで、ご家族のご事情などもあって、「働き方」「ご自身の生活」「人生」というところで、すごく悩みながらいらっしゃったのかなと思います。
そのときの向き合い方や悩んだときの解消法がありましたら教えてください。

吉田先生

悩んだときの解消法として、まず一歩外に踏み出すようにしています。
今回の場合は、例えば興味本位でAntaa Academiaの門を叩いてみました。年上の方が多く、一般的な医局員とは異なるキャリアを歩まれている方々が多くいらっしゃると感じたので、まずはどのような選択肢があるのかを知ろうと、コミュニティにも参加してみました。
あとは、研修医時代の先輩などで自分なりのキャリアを進まれている方が何人かいらっしゃったので、「ご飯に連れていってください!」とお願いして、まず話を聞かせていだたきました(笑)。
どのような働き方をされているのかを教えていただくことで、様々な可能性を知るというアクションから始めました。

Antaa 加藤

人との対話や人との出会いから、いろいろとインプットを増やしていこうというアクションを起こされたんですね。

吉田先生

結果的に人との関わりが最も効率が良かったのかなと思いますが、書籍を読んだりもしました。一般的な就職活動や転職活動の本を何冊か購入して読み漁りました。
さらには、一般企業の転職向けのコンサルタントさんとも面談しました。本当に、できることは何でも試してみようという姿勢でしたね。

Antaa 加藤

いわゆる、一般企業向けの転職の本や転職エージェントさんとかも利用されてみていかがでしたか?

吉田先生

やはり、全然違ったというか、医師以外の職業から医師以外の職業への転職をターゲットにされているので、ちょっと自分のケースとは異なると感じることが多かったですね。
一方で、考え方の整理の仕方や他職種の業務内容など、教養を深めるという意味では良いきっかけとなりました。ただ、なかなか身近には感じられなかったというのが正直な感想です。

Antaa 加藤

人に会ったり本を読んだり話を聞いたり、情報収集や出会いを作りに行くということに積極的に取り組まれたと思うのですが、思い出深かったエピソードなどがあれば聞かせてください。

吉田先生

今の職業とは関係ないのですが、救急科でお世話になった先輩でスポーツドクターの方がいらっしゃいます。その先生から様々なお話を伺う機会がありました。一緒にフットサルを観戦しながら「どうやって救急医がキャリアを構築していくか」についてアドバイスをいただきました。
その時だったかどうかうろ覚えなのですが「まずは好き嫌いせずにいろいろなことに挑戦した方が良い」とアドバイスをいただき、自分の行動が将来どのように繋がっていくかは分からないけれど、とりあえず興味のあることに挑戦してみようと考え、Antaa Academiaに参加しました。

吉田先生

また、水泳が元々好きだったこともあり、水泳のスポーツドクターをされている方にアポイントメントを取り、スポーツドクターになられた経緯などをお伺いしました。現在は、そのご縁でスポーツドクターとしての活動も並行して行っています。
好き嫌いせずに行動してみると、その時は関係ないように見えても後から繋がることがあるものです。実際、自分の好きな水泳でスポーツドクターとしての活動もできていますし、研修時代に日赤医療センターの先輩と働いたご縁で現在の職場と出会うことができました。
その都度最善だと考えて行動したことが、結果的に後で実を結び、繋がっていったというのが思い出深い体験というか、自分にとって大きな学びになりました。

Antaa 加藤

本当に「これ!」といった人生のテーマに出会うことって難しいですよね。
吉田先生のお話はすごくリアルだなと思います!

吉田先生

泥臭く、一歩一歩ここまで来ています(笑)。

Antaa 加藤

アクションを起こされているのはすごく素晴らしいことだなと思いますし、「何から動けばいいかな?」とキャリアにモヤモヤされている先生たちの背中を押していただけるようなお話でした。

吉田耕輔|在宅診療、救急科

滋賀医科大学医学部卒業。武蔵野赤十字病院にて初期研修後、武蔵野赤十字病院救命救急センター救急科を経て、現在の一般社団法人誠創会あさがおクリニック足立院に従事。


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