医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。
今回は、医師データサイエンティスト・エンジニアとして働く羽山陽介先生(リアルワールドデータ株式会社、RWD事業部)にインタビューを行いました。前編では、羽山先生が医師を志し、小児循環器の専門医を経て、薬剤疫学研究に携わるまでのキャリアについてじっくりとお話を伺いました。
>>後編『医師からデータサイエンティストへの転身!医療業界のDXに挑む』はこちら
全身を診たいという意志と小児科の選択
医師を目指したきっかけを教えてください。
高校では理系を選んでいたことと、父が歯科医、母が薬剤師という両親ともに医療職という環境がありました。それで、自分も理系に進むなら医療系と漠然と考えていました。医学部に行けば面白いことが学べそうだと、高校生なりの軽い気持ちで医学部を目指しました。
先生のご専門は小児科の中でも循環器ですが、診療科を選ばれたきっかけや進路に悩まれたことはありますか?
大学生時代に所属していたバスケ部やESS(English Speaking Society)では周囲に小児科志望の人はあまりいませんでした。5回生のときに病院訪問やポリクリが始まり、診療科を回っている中で、全身を診る科に惹かれていることに気づき、最終的に「全身を診る小児科」が良いと思いました。
全身を診る診療科という点でキャリアを考えられたのですね。
はい。小児科を考えたのは、子供がかわいいという点もありますね。医師は大変な仕事ですが、患児たちと話すことでストレスを和らげながら仕事ができると感じました。また、腎臓や血液などさまざまな病気に対応するため、全身を診る必要があることも魅力でした。6回生の頃に小児科を見学し、先生方が充実して仕事をしている様子や、学ぶことが多いと感じて、大学を卒業するときには、小児科を選ぶことを決めていました。
学生時代のポリクリで診療科を見学しながら、最終的に小児科を選ばれたのですね。
部活などで勧誘も多かったのではないですか?
そうですね。例えばバスケ部では循環器や老年科に進んだ先輩がいて、部活の同門会で勧誘されることもありました。でも、私はシンプルに患者さんや診療領域を見て決めた部分が大きかったです。他の診療科だと教授に認められて進路を選ぶケースもあると思いますが、私は自分の判断で小児科を選びました。
特定の領域を極めたいなら、専門特化の環境で没頭を:上級医の助言で小児循環器の道へ
医師としてのキャリアのターニングポイントを教えてください。
どの先生にも、5年目、10年目、15年目という節目あたりで、スキルが身について独り立ちできるなと感じるタイミングがあると思います。私の場合、倉敷中央病院で初期研修の2年、後期研修の3年を経て、計5年間で一区切りを迎えました。6年目以降、病院に残るか、外に出るかという大きなターニングポイントがありました。
研修後、医師5年目で一度キャリアに悩まれたんですね。
そうですね。倉敷中央病院は小児科としては大きな病院で、風邪や発熱の子どもから、血液がんや未熟児、循環器領域でのカテーテル治療まで幅広い症例がありました。例えば内科では、3年目から診療科に進むことでサブスペシャリティを持つのが一般的ですが、小児科では、まず5年間一般小児科を経験してから専門領域を選ぶというのが一般的です。私も医師3-4年目には新生児を担当していました。ただ、相手は話をしない赤ちゃんなんです(笑)。やりがいはありましたが、会話がないので、長く続けるのは正直難しいと感じていました。
そんななかで、私は循環器の病態生理、例えば血圧が異常に高いとか、心臓の機能にトラブルがあった場合にその病態を探ることに興味があって、4、5年目あたりから、小児科の中でも循環器に進んだら面白そうだと思い始めていました。病院には小児循環器の上級医が多く、トップには新垣義夫先生(倉敷中央病院 小児科 顧問)がいらっしゃいました。5年目に病院に残るか外に出るかで悩んだときに、新垣先生から「もし小児科の中で特定の領域を極めたいなら、その専門分野だけを扱っている病院に行った方がいい。専門に特化した病院で没頭できる時間を作るべきだ」とアドバイスをいただきました。
専門を突き詰めたいという気持ちと、上級医の先生のアドバイスがきっかけで、働く場所を変える決断をされたのですね。
そうですね。小児科の専門スキルを磨く環境を求めて、6年目以降は国立循環器病研究センターに移りました。そこで、小児循環器医としてさらに5年間経験を積みました。深いサブスペシャリティを持つために、専門的な環境でキャリアを進めました。
後期研修医時代にはキャリアについて悩まれたことはありましたか?
後期研修医時代はあまり悩みませんでしたね。同期に恵まれていたことが理由だと思います。当時同期は私を含めて5人いて、楽しく仕事ができていたので、ストレスを感じることは少なかったです。ただ、キャリアについては同期の存在に左右されませんでした。やはり「自分の行きたい道を自分で見つけて進んでいく」という気持ちが強かったです。
成人先天性心疾患を診る中で深まった病態生理への興味
国立循環器病研究センターでの5年間はどうでしたか?
どの診療科でも、サブスペシャリティを決めて数年間その領域に没頭して専門性を高める時期が来ると思います。私も国循でその期間を過ごしましたが、次第に小児診療からも離れていきました。具体的には、小児期に手術を受け、一旦は回復したものの、大人になってから再び症状が出る「成人先天性心疾患」を診るようになりました。小児期から成人期までを診る循環器の領域で、5年間専門性を磨きました。
循環器領域の中で新たな興味を持って取り組まれたんですね。
そうですね。仕事をしながら、自分がどういうチームで何をしていくのかを少しずつ決めていった感じです。特にお世話になったのは大内秀雄先生(国立循環器病研究センター 成人先天性心疾患センター特任部長、小児循環器内科医長)で、心不全や成人先天性心疾患の専門家です。先生からは「こうやって病態を見て、患者さんを理解するんだよ」といった基本的なことから、体の機能を測る方法、そしてそれを基に学会発表をする方法など、多くのことを教えていただきました。やはり私の興味は病態生理にあって、「なぜこの病気が起きるのか?」「どう評価すればその病気を理解できて、何すればいいかわかるのか?」という謎解きのような部分に惹かれていたんです。循環器では血圧や抵抗値など、数値を扱うことも多く、数値で病態を評価しながら患者さんを理解していくことが楽しかったですね。そのため、この5年間は病態生理を深める時期になったと思います。
数値・データで病態を評価するのが楽しかったとのことですが、その後の経緯について、きっかけや心境の変化はありましたか?
国循での5年間が終わるタイミングで、次のステップをどうするか選択する必要がありました。当時、少し気分を変えたいという思いがあり、病態をより深く理解したいという目的で、国循の研究所に進むことに決めたんです。動物を用いた基礎研究に携わりました。医師が10年目頃に大学院に進むことはよくある話ですし、私も同じように研究の道を選びましたが、正直、研究所に入った当初はかなり苦労していました(笑)
具体的にはどのような点で苦労されたのでしょうか?
まず、同世代の研究仲間が少なかったことが挙げられます。さらに、私が興味を持っていた循環器の病態生理の分野は、20年ほど前に非常に注目されていたのですが、私が研究を始めた頃には、既にそのブームが過ぎ去っていたんです。そのため、どの方向に進むべきか、新たなパイオニア的領域がどこにあるのかがわからず、研究生活は非常に苦しかったです。
研究所で感じたことの一つは、論文を書くことが研究領域での使命だということです。世界と競争するには、何が新しいのか知ることが必要だと強く感じました。また、病院にいる時は気づかなかったのですが、臨床では患者さんが治療費を負担する形で、医者として診療や臨床研究を実施できていたんですよね。しかし、研究では自分で研究費を獲得しなければなりません。研究費のマネジメントも含めて、資金がなければ最先端の研究もできないということを痛感しました。
研究が終わり臨床に戻るかどうかというときに、臨床に戻って臨床研究を行うには医療統計や研究計画作成の知識が必要だと感じました。そこで、しっかり勉強しようと思い見つけたのが、京都大学の薬剤疫学分野でした。
知識欲から次のステップへ!薬剤疫学への挑戦
キャリアの中で次に必要なスキルや知識を求める気持ちが、京都大学 薬剤疫学分野への進学に繋がったのですね。
そうですね。知識欲に駆られて次のステップに進んできた感じがあります。成長が鈍化してきたと感じたタイミングで新しい領域に挑戦してきました。
知識欲は、臨床に戻った時にどう役立てるかという意識で持っていたのでしょうか?
国循は日本の病院の中でも循環器領域で新しい知識を探求する使命を持った病院です。私が出会った上司の大内秀雄先生も、一人ひとりを詳細に検査・評価して、患者さんを正確に理解し、最良の治療法を探求していくスタイルでした。私もその考え方に影響を受け、「深く考え、新しいことを発見しないと最善のソリューションは見つからない」という意識を持つようになりました。また、その上司が成人先天性心疾患を診ていたこともあり、再び全身を診る領域に関わるようになりました。成人先天性心疾患は、心臓の問題から腎臓など他の臓器にも影響が及ぶことがあります。全身の臓器で何が起きているかを把握するには多くの知識が必要です。上司の姿を見て、異分野とぶつかることで新しい発見が生まれるというか、自分の専門領域ではない分野とぶつかったときに生まれる新しい考え方がある、という思考に繋がっていったと思います。臨床に戻る際に新しい知識を持って帰らないと狭い領域に留まってしまうと感じたからこそ、寄り道をしてでも学び続けたかったんです。
羽山陽介|リアルワールドデータ株式会社、RWD事業部
平成19年京都大学医学部卒業。倉敷中央病院にて初期・小児科後期研修後、国立循環器病研究センター 小児循環器内科、同研究所、京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 薬剤疫学分野を経て、現在のリアルワールドデータ株式会社でエンジニア・データサイエンティストとして従事。