「医局は今はなんとなく違う気がする」就職先を最後まで決めきれず最後の一人に。医療ベンチャー就職に大きく舵を切った理由|株式会社mediVR 新本啓人先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。

今回は、後期研修後に医療ベンチャー企業である株式会社mediVRに就職された新本啓人先生(32歳)にインタビューを行いました。充実した初期研修を終え、後期研修に進む中で、当時抱えていた理想的といわれるレールを進んでいくことの違和感や、医局に入るという想定通りの未来を迎えることのある種の退屈さ。そこから、挑戦の道へと舵を切った思いと躍動する日々について伺いました。

目次

新本啓人先生のキャリア

20歳 広島大学医学部医学科 入学
‐24歳 基礎研究実習で理化学研究所に留学
‐25歳 臨床実習でドイツに海外留学
‐漠然と「世界で活躍したい」という思いを抱く

26歳 初期研修医として、広島大学市民病院救急科に勤務
‐臨床で論文を書きたいと思っていた所、原先生に出会う。当時原先生が行っていた臨床研究のお手伝いをし、初めて臨床研究に触れる。

28歳 後期研修医として、東京ベイ・浦安市川医療センター総合内科に勤務
‐救急車が年間で1万台の急性期病院
‐ハーバード大学の臨床研究プログラムに参加
‐自身でも臨床系英語論文執
‐「なんとなく今は医局にはいきたくない」同期全員の就職先が決まった11月に未定状態…

31歳 医療機器のベンチャー企業 株式会社mediVR に就職

「医局は今はなんとなく違う気がする」同期の就職が決まるなか、最後まで残った新本先生が選んだ“ベンチャーの世界”

本日はよろしくお願いします。後期研修後、すぐにベンチャー企業に就職された新本先生のキャリア、大変興味深いのですが、まずはじめに、現在働かれている株式会社mediVRについて教えてください。

はい。株式会社mediVRは2016年6月に事業を開始した医療系のスタートアップ企業です。昨年(2021年)の夏にも、約5億円の資金調達をさせていただき、日々奮闘しています。メインとなるプロダクトは、「mediVRカグラ」というVRリハビリテーション用医療機器です。15種類以上の特許技術に裏打ちされた点推定と多信号生体フィードバックという仕組みを利用して、仮想現実空間上に表示される対象に向かって手を伸ばす動作(リーチング動作)を繰り返すだけで、これまで治療の難しかった運動失調や卒中後片麻痺、脊髄損傷や神経難病系疾患、整形外科疾患術後の機能改善に活用していただいています。

また、2022年10月には、“成果報酬型”のリハビリ施設「mediVRリハビリテーションセンター東京」を東日本橋に開設しました。患者様は「治るかどうかわからないまま治療費を払いつづけなければいけない」という不安を感じやすく、そのためにリハビリを躊躇して改善の機会を逸してしまう場合がありましたが、この施設では、あらかじめ設定した目標を達成したとき・達成した分だけ報酬をいただくため、患者様からすると「多額の治療費と時間をかけたのに何も残らなかった」ということが起こらず、よりリハビリに前向きになっていただけていると感じています。

「VR」、「成果報酬型」と先鋭的な取り組みが多い会社ですね!もともと、新本さんはこのようなベンチャー企業で働きたいと思っていたのですか。

いえ、就職について考える後期研修時の私は、医局には今はなんとなく入りたくない、だけど、それ以外の答えを見つけられていないという状況で悶々としていました。実際に知り合いに連絡したり、就職サイトを活用するも11月時点でまだ進路が決まらず、同期が全員進路が決まっているなかで、最後の1人になってしまっていました。

ただ、振り返ってみると、「世界で活躍したい」という漠然とした野望を学生のころから抱えていたような気がしています。実際に、広島大学に在学していたときには、国内留学と海外留学を経験し、後期研修で東京ベイ・浦安市川医療センターで働いていた時には、ハーバード大学の研究プログラムに参加したり、臨床系英語論文の執筆も行いました。日々の臨床業務と実力不足でほんと少しずつしか進まず、臨床と研究の両立の難しさが身に染みましたが、それ以上に充実した毎日を過ごせたことが幸せで、こういう時間を続けていきたいと思いました。実力は無いくせに夢だけはでかく、日々目の前のことを夢中でこなしながらもがいていたという感じです。

成功は青天井。ベンチャー企業を選んだ理由は思う存分挑戦できる環境

新本さんのタフさと世界へのモチベーションは確かに、ベンチャー企業という選択にマッチしているように感じます。ただ「なんとなく今は医局ではない」と悶々としていたところから、どのようにベンチャー企業という選択肢に行き着いたのですか。

「ドクターとして働いていくことに、やる気はある。でも医局は今はなんだか違う。それじゃあ何をする?」と「後期研修後どうする問題」を抱えている若手医師は多いのではないかと感じています。僕もそのひとりでした。

そこで選択肢を考えてみた時、ベンチャー企業も選択肢のひとつだなと。

なかでも、医療ベンチャーを選んだのは、4つの理由があります。
まず1つ目は、僕自身がこれまでやりがいに感じていた臨床や研究を継続しながら仕事に取り組むことができるだろうと考えたこと。患者さんにいい治療を届けるという意味では同じですので、共通点があると考えました。2つ目は、成果を出せるかどうかに年齢等は関係なく、若手医師でも能力次第で活躍でき、学術的にも経済的にも成功が青天井であろうと考えたから。3つ目は、社会課題に資する挑戦への可能性があったから。日本の医療機器の貿易赤字は1兆円弱であり、経済全体で見ても日本の衰退は著しいと考えています。世界と戦える日本発の医療機器があれば、このような国レベルの大きな問題にも挑戦が出来るのではないかと考えました。
そして、4つ目は、ハイリスクハイリターンと呼ばれるベンチャー企業ですが、医療分野での職歴であれば仮に失敗しても医師として働く際に戻りやすく、経済リスクが比較的少ないだろうと考えたことが後押しになりました。

そんなときに、株式会社mediVRの代表である原先生に声をかけていただき、入社することが決定しました。

挑戦と成長は表裏一体。医局では得ることができなかった経験がベンチャーにはあった

確かに、思う存分挑戦できる一方で経済リスクも少ない、世界に挑戦したい、成長したいというやる気がある医師には、医療ベンチャー就職は最適な選択肢の1つですね。実際に、新本先生はどんな業務をしているのですか。

何でも屋さんのような感じで、本当にたくさんのことを経験させていただいています。
まず、臨床としては、小脳性運動失調や脊髄損傷、神経難病や脳性麻痺児等でこれ以上の改善は見込めない、と今の医療現場で匙を投げられた患者さんを治療させていただいたり、また研究も昨年は2つの学会、3つの演題で発表させていただきました。先日、初期研修の頃から憧れだったAntaaのウェビナーで発表させていただいたのは大きな一歩だったと感じています。

臨床や研究の他には、弊社の製造販売するリハビリテーション機器を普及させるための訪問営業をしたり、特許庁での審査官との交渉時の同席、テレビや新聞をはじめとしたメディアの取材対応、様々な省庁からの役人の見学対応などの広報業務をしたりです。ピッチイベントなどの参加もかなり多く、先日開催された第31回日本医学会総会においては、医学・医療の社会課題を解決するビジネスプランコンテストでmediVRカグラの取り組みに関する発表を行い優秀賞を受賞することができました。日本最大規模の総会レベルのピッチでも、まだ医師6年目の若手の自分にどんどん挑戦させてくれる社風がmediVRにはあります。本当に刺激的な毎日です。

本当に多岐にわたる業務…まさに医師の可能性を広げる日々ですね。新たな挑戦ばかりの日々かと思いますが、大変なことや辛かったことはありますか。

むしろ大変なことばかりでした…(笑)
最初はビジネスメールの1つも満足に送れず、まるで初期研修医時代に戻ったような感覚でした。また、大学病院から紹介されてくる多種多様な難治疾患についてはそもそも診療経験すらなかったため一から勉強しなければならず、単純に自分自身の臨床能力の低さを感じざるを得ませんでした。リハビリテーション分野の知識や技術に関しても年下の理学・作業療法士の先生に指導していただくような状態でした。

さらに遡ると、内定が決まったばかりの頃は、友人や先輩から「ベンチャーかw、そっち系ねww」という感じで冷ややかな反応をされることもあったりと、順風満帆とはほど遠い日々でしたが、それでも今では刺激や学びが多く、大きく成長できるベンチャーを選んで本当によかったと感じています。

世界に挑戦できる機会がすぐそこに、ベンチャー就職は医師の可能性を広げる

まだまだベンチャーに就職という選択肢は新しく、理解がない方もいらっしゃいますよね…。実際にどんなところでベンチャーでよかったと感じますか。

まずは、昨日より今日、今日より明日と自分の成長や、会社の状況がよくなっていることに未来への期待を感じることができています。臨床では、自分達にしかできない治療を行うことができ、それによって患者さんが治り、感謝されるたびに感じる喜びを仲間と分かち合うことができることは壮大なものです。難病で寝たきりの患者さんが普通に歩けるようになった際等には、まるでロケットの打ち上げに成功した直後のように皆で拍手喝采をしながら喜んでいます。
研究では、世界初の臨床結果を論文にすることができますし、国内外からの治療見学もどんどん増えており、この分野における世界のオピニオンリーダーになることも夢ではないと感じています。

さらには、病院ではまず得ることができないさまざまな業務や経験をさせていただくことができます。例えば、三鷹市や愛知県などの行政との協業や、特許取得、薬事承認などの手続き業務など、いつか自分が医療機器を開発したり、起業したりするときの練習になっていると考えています。

また、労働時間や勤務場所をかなり自由に決められるというように、働き方を選択できることもベンチャーを選択する大きなメリットの1つだと考えています。何かいいアイディアを思いついたら、自分自身でベンチャーを起業することもできますし、海外展開をすれば海外に住むこともできます。

目指すは、未熟ですっぱくとも明日への希望に満ち溢れた「青りんごの精神」

初めに「世界で活躍したい」と話されていた新本先生にとって、挑戦の日々でも、大きく成長できるベンチャーに就職するという選択は、最適解だったのではないかと感じました。
最後に、キャリアに悩む先生へメッセージをお願いします。

建築家の安藤忠雄さんの作品に「永遠の青春」というものがあり、そこには、米国の詩人サミュエル・ウルマン(1840~1924)の「青春」という詩がもとになった安藤さんの信念が込められています。

ー 目指すは甘く実った赤りんごではない。未熟ですっぱくとも明日への希望に満ち溢れた青りんごの精神です。

ベンチャーに入ってからはまさに毎日が挑戦の連続のキャリアで最高に刺激的です。入ってからまだ1年も経っていませんが、もう数年間、勤務しているのではないかと、時間の感覚が麻痺してしまうほど刺激的な日々です。ドクター6年目になっても日々「青春」を感じながら成長できることは、幸せだなと思っています。

キャリアに悩む若手のドクターの皆様にも、是非「青春」を感じられるような道を選んでいただければと思います。先生にとっての「青春」の道がまだ見つからないのなら、まずはとにかく目の前のことを頑張ることが必要かもしれません。自分の場合はたまたまそれがベンチャーでしたが、そうでない先生もいらっしゃるでしょう。ベンチャーもあくまで選択肢の1つに過ぎません。先生にとっての明日への希望に満ち溢れた進路が見つかることを心から祈っています。


「医局は今はなんだか違う気がする。」「世界で活躍したい。」
漠然とした野望を抱えていた新本先生。後期研修を終え、医局人事へ…と、理想的といわれるレールへの違和感から大きく舵を切り、現在はベンチャー企業への就職を選択し、躍動の日々を送られています。まさに「青りんご」であり続けようとする新本先生の生き様において、ベンチャーへの就職は最適解だったのではないかと感じるインタビューとなりました。医師の可能性を広げるを体現する新本先生の日々、その先にさらなる活躍を期待しています。

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