医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。
今回は、飯塚病院 総合診療科で診療にあたりながら、マネージメントスキルの習得を目指す細川旬先生(33歳)にインタビューを行いました。「やりたいことはなに?」と問われれば問われるほど、ただ「この人ならなんとかしてくれる」と思ってもらえる先生でいたいという思いが積み重なっていく。医師としてのキャリア、そして、後期研修期間に結婚、子どもの誕生により変化するライフスタイルとキャリアの折り合いについて伺いました。
細川旬先生のキャリア
1990年 熊本県、歯科開業医である父のもとに誕生
27歳 福岡大学医学部を卒業
27歳 湘南鎌倉病院にて初期研修開始
‐1回目のキャリア迷子:内科系?外科系?どっちにする
29歳 飯塚病院にて内科専攻医として後期研修開始
‐2回目のキャリア迷子:サブスペは必要か?
30歳 結婚
31歳 長女の誕生
‐3回目のキャリア迷子:妻の希望、子どもの子育て、ライフスタイルとキャリアの両立
>現在1歳を迎えるお子さんがいらっしゃる細川先生。医師としてのキャリアの基盤をつくる初期研修・後期研修で、結婚、子どもの誕生とライフスタイルとの折り合いも考えていく作業はいかがなものだったのでしょうか。
単純に、1人の医師としてもキャリア迷子だったのに…
「どこで暮らす?」「(妻は)どれくらい働きたい?」など、妻の希望に寄り添いながら、家族にあったライフスタイルを考えていく必要もあり、ますます迷子になっていました(笑)
>「キャリア迷子」。大学を卒業して医師になっても、専門科を決めたり、サブスペを取得したりと、医師としてどう働きたいか、多くの医師が初期研修、後期研修、そしてその後も悩み続けていますよね。
そうですね。迷いながらの日々でしたが、今日は僕が経験したキャリア迷子を大きく3つに分けてお話しします。
内科系?外科系?初期研修で「キャリア迷子」に
僕は、初期研修は、湘南鎌倉総合病院で勤務しました。いざ、患者さんを目の前にすると、初期研修の2年間で患者を診れるようになるのかと、難しさを感じましたね。また、1つ目のキャリア迷子として、内科系と外科系どちらにしようか迷っていました。
性格的には、外科系かなと思ったり、でも病棟管理難しそうだなと思ったり、なかなか決めきれず…。ただ、当時勤めていた湘南鎌倉総合病院が「メスの持てる内科医」というスローガンを掲げていて、なんだかそれがかっこいいなと思い、そこからもっと内科を勉強したいと思うようになりました。
スペシャリストになりたいわけではない、ただ医師でいたかった
>内科系か外科系か。1つの選択がキャリアの大きな枝分かれになっていくと思うと、想像しているよりも大きな決断で、それを初期研修にしなければならないのは、とても難しそうですね。
なにかのスペシャリストになりたいなど、やりたいことがある先生は、そこに近づいていく道を選んでいくのかなと思いますが、僕の場合は、ただ患者さんにとって「なんとかしてくれるいいやつ」でありたいなと漠然と思っていたので、キャリア迷子になってしまったんだと思います。
それでも当時どちらかというと内科かなと思い、内科の強い飯塚病院で内科専攻医として後期研修を開始しました。
飯塚病院は、親しかった大学時代の先輩も多く、また、僕が理想としていた「なんとかしてくれるいいやつ」のロールモデルとなる先生も多く、人に恵まれた環境だなと感じていました。
サブスペや専門性は必要?後期研修でもキャリア迷子に
患者さんを診るなかで、ACPという患者さんとのコミュニケーションの作り方だったり、緩和ケアだったり、新しい領域を知るたびにもっと学びたいなと思いながら、サブスペって必要なのかなと悩んでいました。これが2つ目のキャリア迷子です。
>後期研修でサブスペの習得を目指したり、なにか専門性を磨く道へ進む先生も多くいらっしゃいますよね。
僕の場合は、ACPを学べば、もっと患者さんやその家族に寄り添えるコミュニケーションができるだろうなと思ったり、緩和ケアを学べば、患者さんのこれからのことを一緒に考えられるなと思ったり、どのスキルも魅力的に感じた一方で、「でもやっぱりサブスペはいらないな」と毎度同じ結論を出している自分がいることに気がつきました。
なにかのスペシャリストになりたいわけではないし、医師として特別突き抜けたいわけでもない、患者さんにとって「なんとかしてくれるいいやつ」でありたいと漠然と思ったのが、よりはっきりとそう思うようになりました。
サブスペよりも幅広い内科スキルを習得し「なんとかしてくれるいい先生」へ
後期研修の折り返し地点、2年目には、「なんとかしてくれるいいやつ」を理想として、サブスペよりも、急性期から慢性期までの幅広い内科的スキルを学んでいきたいと思い、内科を基本としながら、他科ローテートで緩和ケアなど、少しずつさまざまな専門スキルを学ぶことができる飯塚病院で後期研修後も働いていきたいと思っていました。
結婚、子どもの誕生、目まぐるしく変化するライフスタイル、何度も話し合いを重ねた家族会議
ただ、そこでライフスタイルの変化が訪れます。結婚をし、その翌年僕が後期研修3年目となる年に長女が誕生。生まれるまでの期間はまだ見え始めたばかりの自分のキャリアと妻の要望を合わせながら家族としての答えを探すために、何度も家族会議を重ねました。
>結婚とお子様の誕生。幸せの大きさと等しく、細川先生とパートナーの方、ともに大きな不安を抱えられていたことと思います。実際どのような要望があったのですか。
元々看護師をしていた妻は、育休後は正社員として働くこと、住まいについては妻の実家がある宮城にアクセスしやすい場所で暮らすことを希望していました。一方で僕は、もう少し飯塚病院で働きたいと思っていました。「あと2年飯塚病院で働かせてほしい」と期限付きで妻の了承を得て、後期研修後は2年間飯塚病院で勤務し、その後妻の要望である宮城にアクセスしやすい場所への転院を考えようと思っていました。
スタッフとして初年度となる勤務、そして、子育てを両立する日々は目まぐるしく過ぎ、現在娘は1歳の誕生日を迎え、僕もあと1年で約束の2年が終わろうとしています。
「やりたいことはなに?」と聞かれると答えが出なかった
>となると、そろそろ転院先の病院を探し始めないとですよね。
そうなんです。ただ、何かのスペシャリストになりたいわけでもなく、やりたいこともはっきりしていない、となると自分の働きたい病院もなかなか探しづらくって。それでも「病院を探さないとな」と思い、いくつか病院見学にいきました。
また次の病院を決めるにあたって、再び家族会議が繰り返されました。
子どもはどこで育てたい?どこで暮らしたい?給料はどれくらいが理想?診療科はどうするの?
そしてやっぱり聞かれてしまうのが「やりたいことはなに?」。
いつの間にか1番聞かれたくない質問になっていました。
「やりたいことはなに?」という質問は家だけでなく、飯塚病院や見学先の病院でも聞かれることが多く、言葉を失ってしまう自分にやるせなさを感じつつも、「やりたいことってなくちゃいけないの?」と疑問も抱きつつありました。
僕の場合は、なにかのスペシャリストになったり、なんでも自分で解決できる医師になったりするのは、それができる人は本当にすごいけど、僕自身は限界を感じていて、他の人たちと関わりながら、一緒に仕事をしていきたいなと考えていました。
病院見学で見えた、新しいキャリアの可能性
一方で病院見学に行ってみると、「内科を成長させたい」と内科の運営に困っている病院が多くあることに気がつきました。僕は人にも恵まれて、学ぶための仕組みも充実した、内科医にとってとても良い環境である飯塚病院に勤めていたので、他の病院も飯塚病院のような良い環境になるにはどうしたらいいだろう?と考えるようになり、ここに何か自分にできることがありそうだと感じました。患者さんだけなく、同業者、病院にとっても「なんとかしてくれるいいやつでありたい」と思っていました。
そこで、飯塚病院の環境を他の病院にも展開できるように、マネジメントスキルを学びたいと考えるようになりました。そのことを妻に伝えると、妻の方から飯塚病院に残るのがいいんじゃないと言ってくれました。
3度のキャリア迷子で大事にしてきた「悩む時間を許容すること」
>パートナーの方から飯塚病院に残る提案をしてくださったこと、とても嬉しいですね。初期研修から今まで、ライフスタイルが変化するなかで、キャリアの基盤をつくる日々、あっという間でありながら、振り返ってどう思いますか。
大きく3回のキャリア迷子を経て、学びながら、悩みながらの日々をひたすら過ごしてきましたが、僕は悩む時間を許容することがすごく重要だと思っています。正直、周りの人たちがどんどんキャリアを確立していって、自分のやりたいことを掲げている中で、興味の湧く方へ右往左往しながら、なかなか一つの指針のようなものを見つけられない自分に焦りを感じていました。
ただ、じっくりと時間をかけて悩むことで、ポンッと弾ける時がくるんですよね。なので僕は、悩む時間を許容することを1番大事にしています。また、それでも悶々と悩んでしまうときは、人と話したり、環境を変えてみたり、新しい気づきを得るための行動をするように心がけています。僕の場合は、それが家族会議や病院見学でしたが、実際に、病院見学をして、良い職場づくりに興味があることに気がつきましたし、そのためのマネージメントスキルを習得したいと次のキャリアが見えるヒントになりました。
またこれからも、キャリアについて悩むことがあると思いますが、むしろそれを許容して、自分の働き方や家族との暮らしについて、そのときどきにあったキャリアの形を見つけていきたいと思っています。