医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。
今回は、新生児科医から電子カルテデータベースの開発を行う「リアルワールドデータ株式会社」に劇的なキャリアチェンジをされた木村丈先生(38歳/リアルワールドデータ株式会社 代表取締役)にインタビューを行いました。
少年時代に見た、レースに包まれたふわふわの新生児の尊さが原体験となり、新生児科一筋で突き進んだ医師時代から一変して、電子カルテデータベースを自ら開発するビジネスマンに転じた木村先生。そんな劇的とも言えるキャリア転換を深堀すると、木村先生の一筋の志向性が見えてきました。
木村丈先生のキャリア
1985年 大阪生まれ
‐親戚で唯一の医師である叔父が親戚中から讃えられているのを見て、医師という職業に憧れを持つ
‐7人のいとこの最年長として、赤ちゃんの尊さや愛しさを目の当たりにし新生児に興味を持つ
24歳 鳥取大学を卒業
24歳 大阪府立急性期・総合医療センターにて初期研修開始
26歳 市立豊中病院にて小児科専攻医として後期研修開始
29歳 大阪母子医療センター新生児科にて勤務
25歳 結婚
27歳 長女の誕生
31歳 京都大学大学院 薬剤疫学分野 医学博士課程 入学
31歳 リアルワールドデータ株式会社入社
33歳 日本小児科学会雑誌 統計査読委員
29歳 長男の誕生
37歳 京都大学大学院医学研究科 デジタルヘルス学講座 特任助教
37歳 次女の誕生
赤ちゃんとデジタルが好きだった少年時代
>新生児科で働く医師からデータベースを取り扱う会社でプログラマーやコンサルタントへ、劇的なキャリアチェンジをされた木村さん。そこにどんなきっかけや思いがあったのか、気になるところですが、まず初めに医師になった経緯をお話いただけますでしょうか。
小さい頃から、医師への憧れがありました。親が手塚治虫が好きで、家に転がっているマンガを読んでブラックジャックがかっこいいと思ったり、親戚で唯一の医師である叔父が親戚が集まるたびにちやほやされいるのを見て、医師は尊敬されるいい職業なのかなと思ったり、漠然とした医師への憧れを抱いていました。
あとは、今はこんな体育会系みたいな感じですけど(笑)、元々は病気がちで喘息の発作もあり医師が身近な存在だったこともあり、自分が医師になる夢を膨らませていました。
中学生になると、パソコンをよく触るようになり、デジタル領域に興味を持つようになって、高校で受験を考え始めた時には、京大の工学部に行きたいなと思っていたのですが、仲良かった友人が推薦で医学部に合格したと聞いて、「医師かぁ。俺めっちゃなりたいなぁ。』とあの頃の気持ちを思い出して、急に方針転換をして医学部を目指しました。
>少年時代から医師への憧れを抱いていたんですね!実際に医学部に入学し、医学に触れてみて、どのようなことを考えましたか。
医師になることへのモチベーションは高く持ち続けていた一方で、医学のなかでも自分の興味があるもの、ないものがあることを感じていました。
4年目のときに研究室に配属になるのですが、医師の研究というと、今やっている臨床研究みたいなものをイメージしてたんですけど、細胞を培養したり、マウスを使った実験したり、「これって、僕がやりたいことなのかな?」って考えました。
もちろん、基礎研究を行う人たちは必要で、好きな人は好きなんだろうと思うのですが、自分の興味とはずれていたんだと思います。
また、専門科についても、自分の思考や興味と合うもの、合わないものがあることを感じていました。僕自身が、デジタルが好きなのもそうですけど、数字好きであるということもあって、呼吸動態や循環動態を運動生理学などを考えながら、理系的な医療を行っていく麻酔科やNICUなどの方が自分には合っていると気づきつつありましたね。
理系的な思考×赤ちゃん好き=新生児科 の方程式
>大学での授業や研究を通して、ご自身の志向性が見えてきたんですね。「理系的な医療」が自分の興味領域だと感じられていたなかで、なぜ、新生児科を選んだのでしょうか。
元々、僕自身が喘息で小児科に通っていたというのもありますが、7人のいとこのなかで、最年長ということもあり、よく年下の子どもたちと遊んでいて、子どもなのに子どものお世話が好き(笑)というところから、小児科を希望していました。
なかでも新生児科を選んだ理由は2つあって、まず1つ目が原体験のようなものなのですが、小さい頃、いとこが生まれるたびに、退院したてのふわふわの赤ちゃん、真っ白なレースの服を着せられて、大事に抱きかかえられているのをみんなが祝福しているのを見て、「新生児が大事」ってことを、新生児の尊さを当時から感じていたというのがあります。
2つ目は、新生児科は理系的であるということです。新生児科って思っているより集中治療なところがあって、最初の数時間で、例えば低血圧であれば低血圧の原因はなにか、血液のなかの水が足りないのか、心臓が弱っているのかなど、考えながらやっていく理系的な面があって、自分の性にも合っていると思っています。
また、成人は臓器によって専門科が分かれているのに対して、小児科はすべて小児科で診るので自分たちでやりきらなければならない、逃げられない、その責任の重さにやりがいを感じているというのもあります。
新生児科に行きたいと話すと、やっぱり新生児科はきっついきっついってみんなに言われましたね。重症の子が生まれたら、最初の3日間の治療が重要で、実際に寝れない日を何度も経験しました。「寝れないよー?」とか「新生児科いくなんて変わり者だなー!」とか言われて、くじけそうになったこともあるんですけど、一方で「やりたいことって新生児科だよな」って。「最初、新生児科に行ってみて、ダメだったら違う科に行けば良いか」って、新生児科に進みました。
ご家族とのコミュニケーションも重要、やりがいの大きい新生児科での経験
>赤ちゃんが好きということ、そして、木村先生が理系的であるということも新生児科に結びついているんですね。新生児科の先生というと、非常に忙しい、小さい命を預かるプレッシャーなど医師の中でもハードワークとよく聞きますが、実際に働いてみて、木村先生はどのように感じていますか。
持論なのですが、新生児科って全ての診療科のなかで1番やりがいがあると思っていて(笑)
そもそも医療がなんのためにあるかと考えると、寿命を伸ばす、健康寿命を伸ばす、生活の質をあげる。この3つですが、そういう意味では新生児の命を救えば、およそ90年分の人生を医療で救えたことになるんですよね。日本は少子化ですし、日本という国に対しても貢献しているのではないかなと思っています。
単純に赤ちゃんが好きなので、毎日赤ちゃんと対面できるのは楽しいですし、やりがいと楽しさを感じていましたね。
ただ一方で、重症な赤ちゃんがくる病院に長くいたので、亡くなってしまう赤ちゃんもいて。3日目までは元気だったのに、いきなり血を吐いて30分後には亡くなってしまった赤ちゃんや、生まれつきの異常があって、どれだけうまくいっても3年で亡くなってしまう赤ちゃんの治療をご家族の方と行っていくなど、シビアな場面も数多く経験しました。
なかには、「望まない妊娠だったし」とややネグレクトのお母さんもいて、お母さんと赤ちゃんとの関係をどのようにつくるか、根気のいる取り組みでした。
医学的な部分だけではなく、ご家族との関わり方もとても重要になるのが新生児科のひとつの特徴だと思っています。
>ご家族との関わり方、コミュニケーションの取り方はどのようにして学ばれたのですか?
完全にOJTというか、ベテランの先生について、一緒に悩みながら実践していきました。症例検討会なんかでも聞けることには聞けるのですが、リアリティがあって、場面場面でどういうふうにコミュニケーションをとったらお母さんを傷つけずに伝えられるかみたいな繊細なやりとりまでは、綺麗なフォーマットになっては上がってこないんですよね。
後期研修から1年半、大きく舵を切ったキャリア転換。要になったのは少年時代から好きだった “デジタル”
>大きなやりがいを感じられていた新生児科から、新しいキャリアを模索し始めたきっかけはありますか?
新生児科でのお仕事はずっと好きで、いまも時々新生児科に非常勤として勤務しています。
医師ではない働き方ができるのではないかと考え始めたのは、後期研修が終わって、新生児科として1年半くらい働いたときですかね。
新生児科で働くことを目指して、大学、研修、就職とキャリアを展開してきて、この先どうなりたいんだろうと考えた時に、年上の医師を見上げると、医師のキャリアは大きく分けて3つなんですよね。
1つ目がアカデミアの方で成功をして教授になる、2つ目は市中病院で部長コース、3つ目は開業コース。僕にとっては、正直どれも楽しそうではないと思ってしまったんです。
僕には合わなそうだしと思って、新しいキャリアを模索するようになりました。
当時、いろいろネット上のプラットフォームみたいなものがでていて、そこに情報発信をしてマネタイズをしたりとか、自分の事業をやっていく人とかが登場し始めていた時期で、僕自身も臨床研究でプログラミングをやっていたこともあり、そういうスキルを使って、自分でもビジネスできるんじゃないかなってことを考えるようになりました。
また医師免許はこの上ないセーフティネットだと思っていて、5年くらいブランクが空いても戻ってこれるだろうと、だからこのタイミングで新しいことやってみようかなと思い、助走みたいな感じで、デジタル系の臨床研究をやっている研究室に入って、研究もやりつつ、ビジネス領域に関わったのが始まりですね。
研究室からベンチャー企業に、電子カルテデータベースの開発からスタート
>デジタルが好きだったことが、医師からデータベースを取り扱う会社への劇的なキャリア転換のキーポイントになったようですね。そこからビジネスはどのように始まっていったのですか。
大学院生として入った研究室の関連ベンチャー企業に所属し、初期からこれまで、電子カルテデータベース構築事業というのを行っていました。
その研究室では、レセプトやDPCの分析を行っていて、処方とかをレセプトデータで解析しようとやっていたのですが、アウトカムを取ろうと思ったら電子カルテの情報が必要だよねという話になって、研究室のメンバー数人が集まって、リアルワールドデータという会社をつくって、電子カルテデータベースの構築ができたと言うのがここ5年くらいの進捗ですね。
幸いデータベースは結構大きくなって200病院以上から2000万以上のデータが集まって、英語論文もたくさん書いていただいて、一定の成果がでてきたのかなというのがまさに今です。
これから、新規事業としてやろうとしているのは、電子カルテデータベースを作るに当たって、200病院以上のデータを触ってきたと言う経験を生かして、なんとか治験やPMSを効率化できないかという取り組みを行っています。
それを行えるようになると、その患者さんが使っているお薬など電子カルテにあるデータを活用することができ、データの転機とか確認作業などの作業を大幅にカットできるようになるんですよね。まさに治験・PMS領域のデジタル化というのに取り組んでいます。
僕自身は、その新規事業において、治験・PMSに必要なアウトプットを電子カルテから集計するようなシステムが必要になるので、その連携をさせる基盤みたいなものをつくろうとしていて、システムの設計などにも関わりながら、各病院や製薬企業の方とお話をして、システムを一緒に作っていきましょうと、営業活動も行っています。
>かなり専門的な領域ですね…!ただ一方で、中学生時代に好きだったデジタルやプログラミング、理系的な思考が多い新生児科、そして、リアルワールドデータでの電子カルテデータベースの開発と、一見劇的ではありつつも、木村先生の理系的な性格にあった、ある種一貫性のあるキャリアだなと感じました。
医師とビジネスマンのギャップ、乗り越える綱となったのは、成長への意欲
>医師としての働き方、ビジネスマンとしての働き方、両方経験した木村先生の視点で違いはどんなところにありますか。
そうですね。明確なところで、評価のされ方や働き方が大きく異なると思っています。
医師の場合は、売上などの数値目標を持つのがキャリアでいうとかなり後半に差し掛かってからですよね。診療科部長みたいにならないと、診療科の売上などを考えない。例えば、若手の医師が一人で外来効率化して、スピーディーにやっても評価には関係ないのが現実で、1時間に3人しか診ませんという医師と1時間に50人診る医師が同じ評価をされるといった状態です。一方で、ビジネスでは明確に評価される。そこは大きな違いかなと思いますね。
>確かに評価が違うと、働き方も変わってきますよね。そんななかで、病院から企業へキャリアチェンジを考える医師もD35の読者には少なくないのですが、一方で、病院と企業のギャップを埋めていく難しさを感じている読者も多いようです。
スキルや働き方ももちろんギャップがありますが、まずは、マインドを切り替えなくちゃいけないなと思っています。
ひとつは、「お医者様」であることを捨てなくてはいけない。プライドが高くなってしまいがちですが、捨てましょうと言うところと、
2つ目は、個人プレイからチームプレイに。医師って医師免許を持っている人ではないとできない業務が多いので、なんでも自分でやりがちなんですよね。でも、ビジネスはそうじゃない。自分にしかできないことはなんなのか、与えられた仕事のなかで自分にしかできないことはなんなのかを意識して、締切に間に合いそうになかったら、上司に相談するとか、同僚に手伝ってもらうとか、チームプレイになるっていうところを意識してほしいなと思いますね。
>病院から企業へ。評価のされ方も働き方もマインドセットもと、大きく変化したキャリアチェンジでしたが、木村先生にとってそれを乗り越えた綱となったのはなんだったのでしょうか。
自分のできることを増やしたい、成長したいというのがずっとあって、ちょっとずつでも、毎日1つ1つでも成長していきたいなぁという「成長意欲」がここまで僕を連れてきてくれたのかなと思いますね。
新生児科時代は、難しいこともあるんですけど、涙がでるくらい悔しかったり、一方で、救うことができたときに込み上げるものだったり、すべての経験が成長になっていることにやりがいを感じていましたね。
今の新しい事業の立ち上げをさせていただいているのも、与えられた状況のなかで目的に向かって考えながらやっていくのが楽しいと感じていて、1日として同じことをやっている日はないのですが、この状況が楽しい。自分の性に合っているんだなぁと感じますね。
一方で、嫌いなものはなにかっていうと、頭使わないルーチンワークみたいなのが嫌いで、成長好きというのはそこの裏返しでもあるんだろうなと思います。
>キャリアチェンジを果たして、まさに新規事業の開発に取り組まれている木村先生ですが、次の目指すところや憧れなどはありますか。
今の自分の状態が好きで、しばらくは、新規事業開発を進めていくのみですが、プロ社長みたいなのには憧れますね。全然知らない会社に入っていって、そこで黒字化するみたいなのを見るとかっこいいなぁと。
そういう意味では、今リアルワールドデータでも取締役(取材当時)というポジションとして、人生のなかの貴重な時間、30代というキャリアにとっても大事な時間をこの会社に預けれくれているということをとてもありがたいことだと感じていて、みんな愛の溢れる環境で働いて欲しいし、みんな成長して欲しいけど愛だけじゃだめなんですよね。
ちゃんと収益化できる事業を作っていかないと良い給料を払えない。先行投資で新しいこともできなくなって、成長もできなくなってしまう。
経営がうまくできると、そんな社員たち、そしてその家族と、たくさんの人を幸せにできる人間になれる。そんなところを目指していきたいなと思っていますね。
D35の読者へ、「自分の人生を“本当はこうしたい”と思うところにチャレンジしてほしい」
>素敵な憧れですね!そんな木村先生と働けることは、今もとても幸せなことなのではないかと感じました。最後に、次のキャリアを描こうとするD35の読者にメッセージをお願いします。
めちゃめちゃ伝えたいことが2つあって、
1つは、医師の経験は病院の外でもとても求められているということ。
病院のなかにいると、病院だけや大学だけが、医師が活躍できる場所って思われがちで、そう信じ込んでいる方がほとんどだと思うのですが、病院で働いた医師の経験っていろいろな分野や場面で求められているのが事実なんですよね。
外に行かれちゃうと働き手がいなくなってしまうから、「お前なんか外では相手にされないぞ」みたいなこと言われてしまうのですが、みなさんを求めている人はコンサルファームでも製薬会社でも我々のようなヘルステックでも、はたまた、自治体や厚労省などの政府機関もたくさんあるので、少しでも興味があれば、病院の外に出てみて欲しいですね。
2つ目が新しいことを始めたいなって思う時に、医師ってめちゃめちゃ恵まれているということ。例えば、大企業で8年働いてました、3年くらい別の会社で働いて、また大企業に戻りたいですっていってもなかなか戻れませんが、医師であれば、3年でも5年でも、ブランクがあっても医師として戻れるし、もし、起業やスタートアップで働いて、無収入になったとしても医師としてのバイトはかなり効率よく生活費を稼ぐことができますよね。
最強の医師免許というセーフティーネットですよね。安定するのは簡単なので、リスクとって、自分の人生を「本当はこうしたい」と思うところにチャレンジしてほしいなと思いますね。