「好きなもの」と「好きなもの」の掛け合わせで見つける自分だけのキャリア│大阪医科薬科大学│橋本忠幸 先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。

今回は、在学中の留学の出会いから医学教育に興味を持ったことをきっかけに研究を行っている橋本忠幸先生(大阪医科薬科大学/総合診療科)にインタビューを行いました。

今回は、橋本忠幸先生の医学教育を軸にしたキャリアについて、じっくりとお話を伺いました。

目次

「医学教育がしたい」という夢のセンターピンを目掛けて

Antaa 西山

本日はありがとうございます。
現在は、アメリカボストンで留学中でありながら、大阪医科薬科大学の総合診療科に在籍されている橋本先生。留学の話も伺いたいと思いますが、まず、キャリアの始まりである「総合診療科」を選べれた理由から伺えますか。

橋本先生

僕の選択理由は、結構、珍しいのかなと思うのですが、大学4年生ぐらいのときからずっと医学教育をしたいと思っていたのが理由になります。医学教育をするためにどうしたらいいのかなというのをずっと考えていて、総合診療科や救急科が良いかなとぼんやり思っていました。

そもそも医学教育をしたいと思ったきっかけは、大学4年生の終わりから5年生の直前ころに、留学をさせていただいたハワイにあります。そこで初めて、医学部を卒業した先生で、かつ教育を専門に行う先生に出会いました。その先生は、Richard Kasuya先生とDamon Sakai先生と言うのですが、様々なことを情熱を持って教えてくださり、その2人を見ていて、自分もこういうことをやりたいって思うようになりました。

Antaa 西山

「医学教育をしたい」という思いから、専門は、総合診療科か救急科かなと考えられたのですね。最終的に進路としては、飯塚病院の総合診療科を選ばれたわけですが、ここを選んだ理由はありますか。

橋本先生

診療科に関しては、正直特に決め手はなく、どちらでも良いと思っていました。

初期研修終了後、後期研修の場所を探すのが遅くなってしまったのもあり、必然的に候補は、飯塚病院の総合診療科、飯塚病院の救急部、とある他の病院の救急部という3つに絞られていました。そこから、3つとも見学したのですが、飯塚病院の総合診療科を見学し、先生とお話をして、直感的にここだな!と思い決めました。結果的に、専門は総合診療科になっていったという流れです。

Antaa 西山

直感!で選ばれたのですね(笑)そんななかでも何か決め手はあったのでしょうか。

橋本先生

よく勘違いされるのですが、僕は結構直感的な人間なんです(笑)

ターニングポイントを振り返った時、いつも直感で決めてきたなと思っていて、あまり分岐点で悩んだことがなかったなと思っています。きっと悩んでいる方は、「ゴールをどこにするか」また「そのゴールとはなにか」という点で悩むと思うのですが、僕の場合は、幸いにもそれが「医学教育がしたい」とかなり明確なのもあり、あまり悩まず、直感で決めてきたことが多いですね。

Antaa 西山

なるほど、夢が明確だからこそ、頭の中にセンターピンみたいなものがあり、分岐点では、悩むまもなく「パッ」とジャッジできたのでしょうね。

「好きな英語」と「憧れの医師」、掛け合わせて出た1つの進路

Antaa 西山

さきほどのお話で、留学中の出会いから医学教育に興味を持たれたという部分がとても興味深いのですが、その前に、そもそも医学部への入学を目指された経緯なども伺えますでしょうか。

橋本先生

僕は高校2年生まで文系寄りで、特に英語が好きで、将来は英語を使って世界で仕事がしたいなと思っていました。

そんななかで、ターニングポイントになったのは、高校3年生のときに盲腸になったことです。父親が外科医なのですが、手術してもらって、そのときに「やっぱり医師ってすげえな」って思いました。

そのあと、自分が通ってた英語の塾の先生にその話をしたら「君が一番活躍するであろう40代~50代の頃にはもう絶対に自動翻訳機ができてるぞ」と言われ、「英語だけで仕事は選ばないほうが良い」とアドバイスを受けました。「“医者”と“英語”という視点でなにかやったら良いんじゃないか」と言われ、医者という道を見るようになりました。

Antaa 西山

塾の先生という恩師の一言が、医学部への道を見せてくれたのですね。

橋本先生

はい。そういうエピソードもあって、教育を行う”先生”という職業に、少し憧れもあったかのかもしれないですね。

初めての留学は「オンライン」でアメリカに

Antaa 西山

話を現在に引き戻して、ボストンに留学されていることについて、伺わせてください。

橋本先生

実は、今回のボストンの留学は、僕自身2回目の留学で、以前に一度、オンライン留学をしたことがあります。

飯塚病院の4年目の最後の月に、これまた急に京都大学にいらっしゃった先生から電話がかかってきて、結果として以前まで働いていた和歌山県の橋本市民病院というところで、ジョンズ・ホプキンズ大学の講義を受けながら働くオンライン留学プログラムがあるという話を受けました。

一般的にはこうした場面もすごく悩むかと思うのですが、僕自身実家の方にも戻りたいなと思っていたタイミングでいただいたお話だったのと、最後の年の最後の月で区切りもよく、ふたつ返事で「行きます」とお返事をしました。

橋本先生

いざ、オンライン留学が始まって、アメリカの教育というのをある程度体感しながら、そのとき学んだ公衆衛生学は、自分の臨床にも、また、教育という観点にも活かせることは多くありました。また、今はシステムが変わりましたが、僕は総合診療とは別に救急の専門医も取りたかったという意向もあったので、アメリカの大学院にオンラインで通いながら、総合内科専門医と救急の専門医の両方を卒後10年目以内で取れるところまで至ったというのは、キャリアに対してすごく大きかったなと思っています。

ただ一方で、正直オンラインという形式は微妙だなと思う点もありました。

大学院教育という点だけでみればあまり変わらないかもしれないですが、それ意外の教員との距離感やそこにいるメンバーとの日常会話など、直接現地にいることで得られるメリットがすごく大きいなと感じました。

Antaa 西山

1度オンラインで経験していたからこそ、現地行ける機会があれば行った方がいいなと感じていたのですね。

ちなみに、橋本市民病院でオンライン留学のプログラムをするときは、なぜ京大の先生から橋本先生にお誘いが来たのでしょう。

橋本先生

いくつか要因があったと思いますが、まずは、その橋本市民病院が僕の地元、和歌山県の病院だったということ。

それから僕がその先生に何度か留学の相談をしていて、留学をしたいんだったらということで、1つのきっかけを見せてくれたのだと思います。

何かあった時に声がかかる「送信先」になるために

Antaa 西山

今のお話を伺っていて、相手に覚えておいてもらえるよう自分の意志を伝えておいたことが、チャンスを引き付けたのかなと思いました。伝えることに関して、日ごろから意識されていることはありますか。

橋本先生

はい、仰る通りで、”網をかける”ことと同じくらい、”自分を出す”ということもしていることが大切なのかなと思います。

例えばよく「アンテナを張る」という言葉を聞きますが、それは言い方としては微妙だなと思っていて「アンテナを張る」と言うと、積極的に受信するだけという感じがしてしまいます。実際には、やはり自分からも発信をして、何かあったときに送信先として 挙げてもらえるようにしなければというのは常々思います。

実際、僕がボストンに来れたのも、SNSを中心にちょこちょこ発信していたおかげで、とある先生に拾ってもらえたという経緯もあります。

Antaa 西山

そうだったのですね。
それでは、そのボストンの留学についてですが、今回の留学で、やりたいこと、経験したいことなどはありますでしょうか。

橋本先生

こっちでやろうと決めているテーマは一応3つありまして、

1つ目は、論文を書き、業績を上げることです。これはまあそのために行っているので当然といえば当然なのですが。
2つ目が、ボストンでしか学べないであろうことを学ぶこと。
そして、3つ目が、ボストンでしか会えない人と会うこと。

橋本先生

言葉にしてみるとありきたりぽいですが、実際この「ボストンでしか学べないこと」や「ボストンでしか会えない人」というのが、意外とやることが多いのです。もちろん日本からオンラインで出来る範囲のこともあるとは思いますが、それ以上に直接クラスで学んだり、教員と直接話したり、医療とは直接関係ない場へも足を運んだりして、知り合った人とランチをしたり、コーヒー飲みながらじっくり話したりすると、すごく刺激になって楽しいです。

最近だと「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本を書いたエズラ・F. ヴォーゲル先生という東アジアの政治経済の専門家の先生が、日本人向けに私塾みたいな事を行っていて、参加しました。参加者は錚々たる顔ぶれという感じで、有名コンサルの方だったり、省庁の方たちや自衛隊の方たちもいたりしまして、医師に限らずさまざまな人とお話ができとても良い経験になりました。

橋本先生の教育観「いい教育」と「いい薬」

Antaa 西山

ボストンでしかできないことを。まさに充実した日々ですね。

今回の留学のようにさまざまな方とのコミュニケーションも積極的に取られている橋本先生ですが、比較的早い段階で抱かれた夢「医学教育」については、いろいろな方と話したり、いろいろな学びを得たりするなかで、教育について悩んだり、揺らいだことはなかったのでしょうか。

橋本先生

正直、あまり悩んだり、揺らいだりしたことはないです。

少し重なる話をすると、人から「教育について悩んでいます」という相談をもらったとき、「教育と薬を同じように考えたら良いと思う」という話をしています。薬って全部が全員に効くわけでなく、実は5人に投与して、1人が薬を飲まなかったときと比べて良くなっていたら、良い薬と言われるものなのです。

橋本先生

「それと教育も同じじゃないかな?」といった話をしていて、素晴らしい教育をしたらあまねくみんなに響くはずと思っている人が、割と多い気がするのですが、まず現実にそんなことは起きないです。それにもかかわらず、なぜうまくいかないんだと、そこでグルグルと悩んでいる人が多いのかなと感じます。僕はそれを見ていて「そんなもんやない?」と思うのです。

また「教育と薬」の例には続きがあって、薬の効果が及ぶ期間についてですが、大体早く効果が出る即効性の薬って早く効果も消えてしまうものです。逆に効いているか効いていないかわからないみたいな薬がよくよく診ていくと効果があったりする。こうした要素は教育にもあるんじゃないかなと思っていて、今届いているかわからない指導だけれど、後々に渡って長く効いてくるという要素も見逃してはいけないのかなと思います。

「好きなもの」と「好きなもの」の掛け合わせで見つけるキャリア

Antaa 西山

ご自身の教育観を持たれながら、留学や異業種とのコミュニケーションなど、領域を超えて、学び続ける姿勢に、医療業界に新しい風が吹き込む間口になっていらっしゃるんだと、改めて感じました。

そんな橋本先生に最後、キャリアに悩む先生方へメッセージをお願いします。

橋本先生

キャリアを考えるうえで日頃からよく言っていることでもあるのですが、やはり「好きなもの」と「好きなもの」とで掛け合わせられるものを探すということが大切じゃないかなと思います。

「好きなもの」は何でもよくて、例えば、僕の場合だったら「医学教育」と「IT関係」が好きなので「ITを使った教育」とかけ合わせるのも良いですし、例えば、糖尿病の先生で食べることが好きならば「糖尿病の先生が監修した食事」などの切り口で活動してみるのも良いかもしれません。

根本的に自分が好きなことでないとなかなか長く続かないかと思うので、自分の好きなものや課題感を感じるものを掛け合わせて、どんなことができるかなと、まずはひとつ、じっくり探してみてください。

橋本忠幸|総合診療科
大阪医科大学卒業。和歌山県立医科大学 卒後臨床研修センターにて初期研修後、飯塚病院病院や橋本市民病院を経て、大阪医科薬科大学の特任助教に従事。また現在は、アメリカボストンに医学教育を学ぶため留学中。

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