医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、そこに至るまでの障壁や葛藤、そしてその先にある景色についてお話を伺っています。
今回は、福岡県北九州市で家庭医療を担うクリニックを開業する、進谷 憲亮先生(ファミリーヘルスクリニック北九州/院長)にインタビューを行いました。
後編では、進谷 憲亮先生のキャリアのこれから展望について、じっくりとお話を伺いました。
>>前編『「あなたの人生最高だったよ」最期の瞬間まで関われる存在になりたくて』はこちら
>>中編『病院の外にある人の暮らしの大切さと叶えたい社会』はこちら
本質的に自分が何を大事に思うのか、突き詰めた先のこれから
まさに今がターニングポイントの進谷先生。これからの展望についてお伺いさせてください。
本質的に僕は今何がしたくて、何を大事に思っているのかを考え抜いたんですが、一番熱意を持って話せるのが、やっぱり”誰もが自分の一緒に居たい人と一緒に居たい場所に、どんな状態であっても、そして最期までいられる”っていうことを叶えたい。それが僕自身がいないと叶えられないものではなくて、”それを叶える社会にしていきたい”っていう思いです。
これを叶えられなかったという経験(鈴木さん(仮名)との出会い)が今でもずっと心の中にあるんです。
そもそもが”病院という場所は人が居たい場所ではない”んだろうなと思ったときに、病院で治療を受ける方々も、その先の人生だったりとか生活だったりとか、その方の想いと向き合って叶えることができるように。
自分のキャリアにおいては次のフェーズに入ってきて、キャリアの第二幕ではとことん向き合いたいと思います。
今、具体的に取り組まれていることは?
実はそこがすごく難しくて、開業するだけではそういった社会を実現することには繋がらないっていうのが今の僕の結論になっちゃっているんですよね。
要は今この土地で僕が手の届く範囲の人たちにできる範囲でとなってしまうと、やっぱりそれはあくまでも僕がいないとできないこと、僕がいないと続かないものになってしまう。それでは「社会」として実現したいものではなくなってしまい、価値にもならないと考えています。
だからこそ、”まず第一歩は仲間作り、社会作り”なんだろうなと思っています。
これまでパーソナルな見方をしてたところをローカル、グローバルっていうふうに広げていかなきゃいけないなとは個人的には思っています。
でも実際に取り組んでることとしては、結局繋がってることも多いです。
ただ診療だけをするのではなく、医師会や地域の医療福祉専門職の方々とコミュニティやコネクションを持つことで僕の想う課題意識を一緒に共有する機会をいただけるのはありがたいです。
みんながみんな同じテーマに向く必要はないと思うんですけど、社会作りって自分以外の方々にも価値観の共有や同じような視点で一緒にやっていってもらうことがとても大切で、それに社会という点では専門職だけのケアだけでは絶対だめで、一緒に暮らす方であったり、その町の人たちがどう支え合うかっていう部分もすごく僕は重要かなと思っています。
医療専門職だけではなく、その地域で暮らす人たちがどう支え合っていくかという点では、カンボジアでの経験や課題意識に通ずるものがあるのでしょうか。
極端な話、カンボジアはちょっと昔の昭和の日本なんですよね。
それこそ今、日本の課題意識として持ってる”もっと地域で支え合う文化”と言われているものって、実はカンボジアに今あるんですよ。
首都のプノンペンでは格差が出てき始めてはいるのですが、1時間くらい行った地方になると、同じぐらいの水準の人たちが生活していて、同じ市場で一緒にそこのコミュニティでできることをしながら暮らしてます。
日本のような完全看護の文化がないので、入院すると家族総出でみんなで引っ越して病院の中で暮らすようなことになり、さらにその病院の中で患者家族たちがみんなで助け合っているんですよね。また、文化的に死者を連れて帰ることはタブーというのがあって、みんな亡くなる前に家に連れて帰りたいと希望されます。
もうこれ以上やっても可能性が低いなら、まだ命あるうちから、葬式の準備をしてお別れの準備を村のみんなとしたいって言うんです。医療職としてもうちょっと頑張りたいっていう時も、家族だけでなく村のご近所さんたちも集まって、家族にするようなインフォームドコンセントをする、そしてみんなで泣きながら家に連れて帰るというようにね。
当たり前にそういう文化があって、コミュニティ力は強いなと感じました。
その価値観はとても素晴らしいと思う反面で、現実的には経済力によってもっと救える医療が提供できるのにっていう場面が少なからずあることも事実です。そういう点で”カンボジアは日本に今ないものを持っていながらも、これからは日本と同じ道をたどるのでは”と考えてしまうこともあります。
でもカンボジアの人が日本に来ると、またその将来の課題を見据えることができるかもしれません。逆に新しい仕組みとして、介護や在宅医療というものはある意味最先端の地域医療で、次の大きな課題というかテーマとしては、”地域の中での病院の外における医療”だと僕は思っています。
今からそこに取り組み始めても全然遅くないんじゃないかなと、カンボジアで過ごした1年間ですごい感じたっていうのが一番大きくて、今の自分の考えにつながっています。
今の自分があるのは、やっぱり今まで関わってくれた人や地域のおかげだなっていうのがあるので、関わってくれたところに恩返ししていきたいです。
特にカンボジアの人々からいただいた1年間の経験は大きすぎて、そこに関しては何か生涯を通じて恩返ししたいと思っています。これがまた北九州とカンボジアの首都プノンペンが姉妹都市というご縁もありましてですね、自分の中で勝手にストーリーができてるんですよ(笑)
キャリアのターニングポイントって思い返すとすごくたくさんあって、たぶんこれからも出会いの分だけ毎年増えていきそうです。
キャリアの第二幕の始まり ~仲間集めへの想い~
僕のキャリアの第二幕というフェーズ、仲間が本当に必要になっています。
これまでのご縁で改めていろんな方に自分の想いをお話したりしているんですが、開業してから2年半を経て思うのは、関わり合う中でお互いに育み育つっていうことをできる関係性が一番合うと思うんです。
むしろ初めから僕とどっぷり同じ志向とかではなく、一緒に育っていく感じ。もちろん将来的に同じ方向を向けるのは個人的にすごく心強いんですけど、今残ってくれているスタッフもそうなんですが、”ともに成長が見える”ってやっぱりすごい嬉しいんですよね。
同じ価値観を共有という意味では、僕がやっぱり大事にしてるのが、自分の専門性ではなくても、どんな患者さんでも、どんな悩み事を抱えた人でも、うちに来たからにはプライマリーな地域の窓口としてはもう断らない。
マンパワーが許す限りは、”その目の前の患者さんの専門医になろうって熱心になってもらえる人”であれば、僕はこの上なく嬉しいです。
逆に言えば自分の専門性を持ってたとしても、その専門外に触れる勇気を持ってきてくれれば、もうそれでいいと思ってます。初めはできなくて当然ですし、例えば成人しか見てない方が小児を診るって怖いと思うんですけど、地域で診る仕組みであったり、そこを一緒に勉強したいって思ってもらえる人であれば、声をかけてほしいです。
最後にキャリアに悩まれる先生方にメッセージをお願いします
僕としては、”医者である前にひとりの人間として自分はどうありたいのかなっていうものをぜひ見つけてそこを大事にしてほしい”です。
キャリアを考えるときに、社会的なキャリアに惑わされるじゃないですけども、どうしても他者との比較だったり、世間の当たり前みたいなものに埋もれてしまって、自分はどうありたいっていうものを見失いがちな方がいると思うんです。
そんな時は”自分自身と対話”がおススメです。
「これってどう思う?」と自分に問いかけながら、紙に書き出してみるのもいいし、誰かに話すことで考えが整理されることもあるし、自分なりの方法でリフレクションしてみる時間をとってみると振り返ると自分が大切にしていることに気づけたりします。
もし、このインタビューで少しでも気持ちに引っかかるものがあれば、見学がてら当院に話しに来てください。
進谷 憲亮|総合診療科、家庭医
福岡県苅田町出身
2013年 医学部卒。東京都立多摩総合医療センターにて初期研修及び救急総合診療専門臨床研修修了。2018年、特定非営利活動法人ジャパンハートの長期ボランティア医師として1年間カンボジアでの医療活動に従事。2019年、帰国後は東京都の武蔵国分寺公園クリニックで家庭医として子どもからご高齢の方まで年齢問わず外来診療・在宅医療に携わる。
2021年3月に家庭医療専攻医研修を修了し、2021年4月より福岡県済生会八幡総合病院総合診療科医長を務め、2022年1月より北九州市八幡西区本城地区で新規開業。
ジャパンハートは「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に、国内外で医療活動を行う認定NPO法人です。
2004年の設立以来、国、地域、人種、政治、宗教、境遇を問わず、すべてのひとが平等に医療を受けることができ、 “生まれてきて良かった”と思える社会の実現を目指し活動しています。
1995年に小児外科医・吉岡秀人が単身ミャンマーで活動を開始して以来、国外ではカンボジア、ミャンマー、ラオスの3か国で、小児がん手術などの高度医療を含む治療を年間約25,000件ほど実施しています。
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