医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、そこに至るまでの障壁や葛藤、そしてその先にある景色についてお話を伺っています。
今回は、奄美大島の大和村で、離島医療・地域医療に10年従事されている小川信先生(国民健康保険大和診療所/所長)にインタビューを行いました。
後編では、小川信先生の離島医療のリアルなエピソードや奄美大島 大和村の魅力について、じっくりとお話を伺いました。
>>前編『天神生まれの都会っ子が奄美大島で見つけた地域医療のこれだ!感 』はこちら
10年かけて準備した離島医療への挑戦、現場はわからないことだらけだった
小川先生にとって念願の奄美大島の大和診療所で離島医療・地域医療に携わってきた10年間はどのようなものでしたか?
15年間外科医をやってから、奄美大島のこの大和村に来たわけです。その当時の僕は、今思えば、どこかちょっと天狗になっていたというか、奢った部分があったのかなと。「これまで学んできた自分の医療を島の人たちに還元するんだ」という、そういう部分があったんだと思います。
実際に島に来てみれば、逆に島の方々から学ぶことばかりでした。僕は特に外科でずっとやってきていたので、内科的な知識が足りないところもあると思っていて。患者さんが来て、病気があって、その都度その都度勉強して、一つずつ覚えていくという感じで、それで患者さんが感謝してくれる。
やっぱり島の人達から一番学んだのは、人の優しさというものでした。
診療所の外でも、地域支え合いというのがあって、元気なおばちゃんたちが中心になって、地域の集落の困っている人や高齢者の力になろうと、いろんな取り組みをしている。利益なんか度外視してボランティアで毎週喫茶店を開いていたりするんです。そうするとみんな集まってくるんです、100円握りしめてやってきて、お菓子が出て、と。それで、来ていない人がいたら様子を見に行って、迎えに行って連れてきてあげたりとか。
あとは独居の末期がんの方で、ご自宅に訪問するヘルパーさんが、いつも家に入るのが恐い、と。もし亡くなって冷たくなっていたらどうしよう、と考えてしまう、と。そうするとお隣さんが、じゃあ私が朝に見に行きますよ、とか、ご近所さんがじゃあ私は夜に見に行きますね、と、自然とそういう風に話が進む。地域の人やスタッフとかも合わせると、なんだかんだで1日に8回くらい人が出入りしている、というような。
都市のほうだと親兄弟や親戚なんかでも、何か入っていっちゃいけないというような、お互いに遠慮したりすることもあるのに、こういう僻地だとみんなが助け合いながら生きている。台風が来るとか、地震で津波警報があったりとか、そういう時に、動けなさそうな人がどこにどういるというのをみんなが知っていて、自主防災組織の人たちが車で次々見て回っていく。
災害でなくても、日常のちょっとしたこと、例えば自転車屋さんはないけど自転車の修理はあの人に相談すればいいとか、電気屋さんはないけどあの人は元電気屋さんだから聞いてみるといいよ、とか、大工仕事はあの人にお願いしてみる、とか。もちろん大きな工事などはお店にお願いするんですけど、ちょっとしたことはだいたい解決したりする、それが地域のすごさかなと思います。
そういう人のつながり、ちょっとした優しさに感動して、もうずいぶん泣かされました。
人の優しさ、とてもシンプルな言葉ですが重みを感じます。
そんな10年間を過ごされた小川先生ですが、来年春には異動されるご予定があると伺いました。
奄美大島の大和診療所は、仕事内容としては、もう一生これを続けてもいいと、とてもやりがいのある仕事でした。ここに一緒に来た家族も島ですごく楽しく過ごしていました。
島に来て10年が経過して、実家の事情や家族のライフステージの変化などもあり、また島で一番力を入れてきた在宅看取りの取り組みについて知見を深めたいという思いもあり少し離れる決断をしました。
小川先生にとって思い入れが深い奄美大島の大和村を離れることは寂しいですね
はい、そうなんです。寂しいですが、今、後任の先生を探すことに集中しています。
島の魅力は、人の優しさと医療者⊂島民としての関わり方にあり!
初めて行く土地にポンッと飛び込むことは、とてもバイタリティが必要で大変なことと感じている方もいらっしゃるかと思いますので、ぜひここで後任になる先生に大和村の魅力をお伝えできればと!
イチ押しは、お祭りです。
実は僕、お祭りが大好きでして(笑)
旧暦の8月に行うので通称は8月踊りというんですけど、各集落に土俵がありまして、この土俵の周りをぐるぐる回りながら、男女が声を掛け合うんですね。高齢者も一緒に踊るんですけど、その時のおじいさんおばあさんたちがめっちゃ格好いいんですよね。輝いている。
昔は男女の出会いの場所だったりしたらしいんですけど(笑)医師5年目でハンセン病療養所に来たときは、奄美大島内でも街なかに住んでいたので、集落の人たちが盛り上がっている祭りの様子を目にして、この中の一員になりたいなというのがすごく夢でした。
10年前に赴任してからは、毎年必ず参加しています。
他にも10月には豊年祭というのがあって、集落の土俵で神様に相撲を奉納するんですね。こちらに来てから、40歳で初めて相撲を取って、なるほどこれは面白いな、とハマりました。
僕の前任の先生は相撲を取ったりはしなかったらしいですけど(笑)
大和村の村長さんは相撲がめっちゃ強い人で。実は相撲を取るまでは、村長さんと口論になることもあったりしたんですけど、僕が相撲を始めて、稽古つけてくださいって言ったら、喜んでくれました。
集落の青壮年団も集めて稽古して、終わったらみんなでちゃんこ鍋を食べて。村長さんとは、その辺からすごく関係性が良くなったような気がします。
まるで青春ドラマのエピソードみたいですね(笑) 本当に島民として溶け込んでますね
ひとりではない、地域の皆さんに教わりながら何とかなるのが離島医療
最後に読者の先生方へメッセージをお願いします
僕は奄美大島の大和村に赴任するまで、離島医療に必要と思って、専門医の鬼みたいにいろいろ取ってきました。外科専門医、消化器内視鏡専門医、産業医、災害派遣医療チーム(DMAT)、外傷のコースでJATECインストラクター、心肺蘇生のコースでACLSのインストラクター、緩和医療指導医、プライマリ・ケア指導医、認定インフェクションコントロールドクター(ICD)、と。
でも結局、わからないことばっかりなんですよ。
現場に行くとわからないことばかりで、患者さんから教えてもらいながら、3年やったら本当に一通りわかってはくる。でもそれも結局、自分だけじゃ何もできなくて。患者さんもですけど、看護師さん、役場の保健師さん、薬剤師さん、介護士さん、ヘルパーさん、ケアマネさん、いろんな人がいてくれて教えてくれて、これは誰に相談すればいい、とわかるようになる。
だから、離島医療が気になっているけど一歩を踏み出せないという先生の背中を押す言葉があるとしたら、何とかなるよ、と。そんな言葉を贈りたいですね。
あとは、小さいお子さんがいる人は、海、山、野原、そういった自然との触れ合い、都会では体験しにくくなっているような、それはもう多様で豊かな恵まれた環境があるので、タイミングとしてはすごくいいと思います。
10年間離島医療にたずさわってきた小川先生の言葉。すごく心強いですね
小川 信|外科、総合診療科、緩和ケア科
福岡県福岡市出身
1999年 東京慈恵会医科大学卒業。卒業後1年間バックパッカーで世界を周る。国際医療研究センターで外科レジデントを経験後、離島医療に出会い、産婦人科、緩和ケアなど幅広く研鑽を積み、2015年より家族で奄美大島へ転居し、現在の国民健康保険大和診療所に従事。