患者をこえて、その家族の影響を思う。産婦人科医を選んだ理由 前編│株式会社グッドバトン│園田正樹 先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。

今回は産婦人科を経たのち、安心して産み育てられる社会を目指し事業活動を行う産婦人科医の園田正樹先生(株式会社グッドバトン 代表)にインタビューを行いました。

前編では、園田正樹先生の産婦人科への熱い想いについて、じっくりとお話を伺いました。

>>後編『1歳の子育てと病児保育事業の起業・経営。すべての経験を点と点で繋いでいく』はこちら

目次

小児科か、産婦人科か。子ども好きな園田先生の3つの観点

Antaa 西山

本日はありがとうございます。産婦人科医としてキャリアから一変、起業をされた園田先生のキャリアですが、ターニングポイントや悩まれたポイントなどお話伺いたいと思っています。

まず、産婦人科医を目指そうと思った「きっかけ」からお話を伺えますでしょうか。

園田先生

もともと子どもがすごく好きで、学生時代は小児科医とお産のある産婦人科医どちらにしようかと2択で迷っていました。

初期研修では、小児科を3ヶ月、産婦人科も3ヶ月と、気になっている2つの科を長めに研修し、その結果、産婦人科の方が性に合っているなと思い、選択しました。

園田先生

産婦人科を選んだ理由は大きく3つ。

1つ目の理由は、よりインパクトが大きい関わり方をしたいなと思ったときに、産婦人科医のインパクトは大きいなと思ったからです。
例えば、お産のときに子どもが低酸素の状態は、その子どもの一生に影響するので、産婦人科医が迅速かつ正しい判断ができるかが重要です。もちろん、小児科医も蘇生処置やNICU管理など、子どもへの貢献は非常に大きいのですが、分娩管理としてより上流に位置する産婦人科医の責任はとても重く、インパクトが大きいと思いました。

2つ目としては、お母さんの命を守ることで、子どもや家族を守れることです。
母体死亡は毎年30件から40件くらいあるのですが、お母さんが命を失ってしまったときの残された家族への影響は計り知れません。分娩時に子どもにも母親にも直接関わる診療科って、すごくやりがいあるなと感じました。

3つ目は、産婦人科が生命と関わってゆけるということです。
産婦人科では若い女性ががんになることがあります。僕が医学生の時に14歳の子どもが子宮頸がんで亡くなる経験をしました。若い女性ががんに罹患し、亡くなること、本人とその家族への影響を考えました。また、女性ならではの健康への不安を拭うことはできないのか、と考えました。そこであらためて医師として自分の時間をどういう人に関わりたいのかと考えたときに、幸福の裏にリスクを含む分娩や癌など生命と関わってゆける産婦人科はとても魅力ある診療科だなと思いました。

患者をこえて家族への影響を考えるようになった原体験

Antaa 西山

インパクトがあるというところで産婦人科を選ばれたというお話があったかと思うのですが「インパクトのあるところに貢献したい」と思ったきっかけみたいなものはあったりするのでしょうか。

園田先生

僕自身の気質に関わる話だと思います。
医者になったそもそもの理由にもつながりますが、僕が高校生のときに「祖父は医療過誤だったのではないか?」と思うような経験をしています。その経験から、医療は患者だけでなく、その家族全体へのインパクトは、主治医によって大きく変わると考えるようになりました。

だから、正しく患者さんと向き合いたいなと思っていましたし、自分がどれだけ患者さんとその家族に貢献できるのだろうというのは、とても大事な要素だと捉えています。

また自分自身が迷いながらの診療はあまりしたくないなという思いがありました。適切な事例かわからないですが「90歳のがんの方に、手術するのかしないのかということを家族と悩みながら考えていく」というよりも、「赤ちゃんが低酸素状態だ。絶対に助けるぞ」というシンプルなところに集中し、自分が信念を持って患者さんと向き合える場所を探していたところはあったと思います。その結果、産婦人科がインパクトが大きいという結論にたどり着きました。

Antaa 西山

それは、医師になろうと思って、診療科を選ぶ際に子どもと関わっていきたいと思うようになったのですか?それとも、そもそも子どもに関わる仕事を探されたのですか?

園田先生

後者かもしれないですね。はじめ、教師になるか医師になるかを迷っていたこともあります。

結果的に僕は医師を選択したのですが、根本としてはその人の人生が変わるような関わりをできる存在になりたいと思った時に、候補として教師があるなと思っていました。

少し話はずれてしまいますが、病院は、マイナスをゼロに戻そうとするものが多い中で、ゼロがプラスになるいうものも少ないですが存在していて、産婦人科はそんなゼロがプラスになるシーンがみられる科の一つなんです。「子どもが元気に生まれてきました」っていう、ほんとうに幸せな空間が広がっているんですよね。先ほど、インパクトのある貢献をしたいというお話をしましたが、その中でも僕は、妊娠・出産という時に管理によってプラスになったり、マイナスになる産婦人科診療に貢献していきたいと思っています。

教授の勧めで学んだ「公衆衛生学」で改めてかたどられた、医師としてのマインド

Antaa 西山

園田先生が診療科を選択していったポイントと熱い思いがものすごく伝わってきました。次にこれまでのキャリアを振り返ったとき、今思えばこれがターニングポイントだったなと思うポイントについて伺えますでしょうか。

園田先生

キャリアのターニングポイントの1つ目は大学院で公衆衛生学を学んだことかなと思っています。

もともと、僕は一生臨床医をやりたいなと思っていて、大学院には行きたくないと思っていたのですが、当時の指導教官だった東大の大須賀先生(現在教授)に研究を勧められては断り、というのを2回ほど繰り返しました。その後、なんと3回目の呼び出しで再び研究を勧められ、こんなに忙しい人がそこまで勧めてくれるなら、やるべきなんじゃないか、と思い直し大学院に行きました。

園田先生

専門は公衆衛生学なのですが、僕は性格的に試験管と向き合う基礎研究よりは、人と関わるスタイルの方が絶対合っているなと感じて、公衆衛生学に進みました。学問として公衆衛生やパブリックヘルスを理解していなかったけど、実は僕はもとから、結構パブリックヘルスのマインドだったんだと、きちんと理解できたのが大学院という場所でした。

具体的な例としては、免疫がない方に、産後に風疹ワクチンを接種して先天性風疹症候群を予防する取り組みです。この病気は、妊娠初期にお母さんが風疹にかかると胎児が難聴や心臓の奇形になるのですが、ワクチンで予防できる病気です。われわれ産婦人科医は、妊娠初期に、風疹の抗体価を測定し、妊婦さんの風疹リスクを評価します。抗体価が低くても、妊娠中は打てないのですが産後にワクチン打ってから帰りましょうという仕組みにすることで、そのときは予防できなくても、次の子どもを産むときにはちゃんと免疫がついているように変更しました。その他、帝王切開を今まで縦に切開していたけど横切開に変更しました。そうすると傷が治りやすく、ビキニでちょうど隠れるくらいの傷なので水着を着るときにあまり見た目を気にしなくて良く、傷の痛みも横の方が少ないのです。

園田先生

患者さんがチョイスできないところにおいて、医者側が仕組みを変えてあげることで、患者さんのアウトカムが明らかに変わったりすることって、臨床医のときからすごく大事だなと思っていました。

僕は主治医として、目の前の患者さんがしっかり治っていくことに喜びを感じていたのと同じぐらい、目の前にいない人が、自分が仕組みを作ったことによってその方がハッピーになれたことに、喜びを感じるんだなということを大学院でパブリックヘルスを学んで、改めて理解できました。

病児保育業界に見えた可能性「自分ならできそう」と起業を決意

Antaa 西山

自分のマインドを学問的に学ぶことで、さらに園田先生の産婦人科としてのあり方が確立されたのかなと感じました。

その後、産婦人科医として働かれたのち、起業へとキャリアを転換されましたが、なにか課題感や、やらなきゃという使命感が生まれた瞬間があったのではないかと予想しています。

園田先生

僕は大学院の夏に、IHLというNPOのプログラムに参加したことがあり、そのときに「少子化対策をしたい」という旗を立てたんです。

「少子化対策」って言葉としてビッグワードすぎて、今だと自分でも意味がわからないなと思うのですが、ここを少し深掘りすると当時から「子どもを産みたいという希望がある人がそれを選択できない社会っておかしくない?」という疑問が僕の根底にあったんだなと思います。

ただ当時は、「希望する人がちゃんと選択できる社会になった方がいい」→「それってどうやったらいいんだろう」→「実際自分がそのために何ができるんだろう」と考えてみたものの、解決策までには至りませんでした。

園田先生

幸いにも当時産婦人科医で当直をしていたのでそこで、まずお母さんたちにインタビューをして話を聞きました。またお母さん達の中でも初産ではなくこれから2人目、3人目を産もうとしているお母さんたちを対象に、どんなことに困ってますかみたいな話を聞いていきました。

一番僕の心が動いたと同時に「それ、おかしくない?」と思ったエピソードは、「子どもが風邪をひいて、月の半分ぐらい仕事を休むことになり、職場からの評価も下がり、給料が下がり、結局次の子を妊娠したと同時に仕事を辞めちゃった」という話でした。

園田先生

子どもが風邪をひくのは普通のことなのに、それによって自分の人生をキャリアを変えざるを得ないのは、なんとかならないのかなと考えたとき、市町村事業で病児保育という制度を見つけました。
解決策はあったのに僕もそれまで知らず、しかもアクセスしようと思って調べてみると、めちゃくちゃ使いづらいじゃないかと。これって今の時代のテクノロジーやデザインをうまく転用すれば、割と解決できるんじゃないかなという発想まで、できたんです。

さらに調べて考えていくと、そのニーズは確かにあるのに利用率3割程度で、その要因として、やはり認知度の低さと使いづらさがあるということが分かりました。
解決策まで発想ができましたが誰かやりますか?となったら専門性も高く、おそらく誰もやらないだろう。自分ならできそう。このまま放っておいたら、この業界自体が10年、20年後に経っても変わらないかもしれないと感じ、もうこれはやるしかないなと思い立ちました。

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園田正樹|産婦人科医・起業家
新潟県糸魚川出身、佐賀大学卒業後、東京大学産婦人科学教室を経て、安心して産み育てられる社会を実現したいと考え、2017年にConnected Industries株式会社(現株式会社グッドバトン)を創業。2020年4月、病児保育予約サービス「あずかるこちゃん」をリリース。事業以外にも、病児保育の調査研究に取り組む。

グッドバトンHP
https://goodbaton.jp/
株式会社グッドバトン CEO 園田正樹 X(Twitter)
https://twitter.com/masaki_sonoda
【クラファン挑戦中】 産後ケアへつなぐためのサービスをつくりたい!
https://readyfor.jp/projects/goodbaton

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