医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。
今回は、筑波大学附属病院で、緩和ケアチームとして緩和医療・支持療法を行う小杉和博先生(筑波大学附属病院/緩和支持治療科)にインタビューを行いました。
前編では、小杉先生が学生の頃から緩和医療を目指し、キャリアを重ねた経緯について、じっくりとお話を伺いました。
>>後編『医師14年目 初めての大学病院勤務~出会いと偶然が拓いたキャリア~ 』はこちら
同期100人のうちの1人くらい、治療ではない医療を目指してもいいんじゃないか
小杉先生が医師を目指したきっかけを教えてください。
実は消去法で選びました。
大学に入るのに2年かかったのですが、その過程でやりたいことが本当に見つからなかったんです。理系志望でしたが、一浪してもどこも受からなかったりして。結局、二浪目に入っても文系も含めていろいろな学部を受けて、何を目指すか絞り込めませんでした。
最終的には理工学部か医学部のどちらに進むかで悩み、父からは「理工学部で一流になるなら現役で受かってるはず。二浪もしているからやめておけ。」と言われ、その言葉に当時はちょっとイラっとしましたが、確かに一理あると思いました(笑)
私のイメージですが、理工学部を卒業してもその専門性を活かせる研究職などに就ける方はほんの一握りで、理系の卒業生でも営業職や事務職に就く人が多いのではないかと思っていました。
医学部であれば、大学での勉強が仕事にそのまま繋がり、比較的安定して最初に決めた道を歩むことができると考えました。
大学で学んだことを活かせる職業として医師の道を選ばれたのですね。
その後は、診療科ごとに進路が分かれていきますがどのように選ばれたのですか?
私の周囲には親戚を含めて誰も医師がいなかったので、診療科についてもよくわからず、内科か外科になるだろうと漠然と考えていました。
緩和ケアを選ぼうと思ったきっかけの一つは、4年生の授業で初めて緩和ケアについての講義を受けたことです。講義を担当していただいたのは、現在、獨協医科大学麻酔科主任教授の山口重樹先生でした。一コマだけの授業でしたが、緩和医療について知るきっかけになりました。
授業の終わりに、私は少し生意気な質問をしまして(笑)
「先生のお話では結局患者さんはみんな亡くなってしまうじゃないですか。その中でどうやってやりがいを感じるのですか?」と尋ねたのです。
すると、山口先生は「やりがいはあるよ。自分が最期まで看た患者さんが辛くなく、苦しくなく旅立てたら、その日は家に帰って1人で酒を飲むんだ」とお答えになって。その言葉を聞いて「こんな世界があるんだ」と思い、興味を持ちました。
また、5年生のときに学内の海外研修に応募し、アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校モアーズがんセンターで研修を受けました。そのプログラムの中で、ホスピスを見学する機会があり、回診風景を見て驚きました。
医者、看護師、薬剤師、心理士、ソーシャルワーカー、リハビリスタッフなど、全職種が患者さんの部屋の前で集まり、問題点を話し合ってから、一緒に部屋に入り、非常ににこやかに患者さんと話していたのです。それぞれの職種が専門性を発揮して、患者さんに最善のケアを提供するという、理想的なチーム医療のスタイルに感銘を受け、「緩和ケアって面白いな」と感じました。
当時の授業では、治療に関する講義が中心で、緩和ケアについてはほとんど触れられていませんでした。ふと「治療以外の医療も重要ではないか」と思うようになり、同期が100人程いる中で1人くらいは治療ではない道に進むのも面白いのではないかと考えるようになりました。それが、緩和ケアに興味を持つきっかけとなります。
ただ、当時は緩和ケアという診療科はあまり一般的には知られていなかったため、親には少し反対されてしまいました。
学費の面で祖父母から援助を受けていたこともあって、親ははっきりというほどではないですが、「せっかくお祖父ちゃんお祖母ちゃんがお金を出してくれたのに、よく知られていない診療科に行ったら・・・」というようなことを言われたことがありました。この点については葛藤がありました。
治療を学び、患者さんを知ってからが緩和ケア
学生のときから緩和ケアに興味を持ってらっしゃったんですね。
小杉先生はこれまで一貫して緩和ケアを目指した形で病院の選択をされたのかなと思いましたが、キャリアのターニングポイントを伺えますか。
おっしゃる通り、当初から緩和ケアを目指したいと思っていましたが、学生のときに臨床実習で脳神経外科の金彪教授と話した際に、「将来、緩和ケアをやろうと思っています」と伝えたところ、「緩和ケアの重要性は理解できるが、まずは治療を学びなさい」と言われました。
治療を経験せずに緩和ケアに進むのは、治療の実態や患者さんがどのように過ごしてきたかを理解できないからだと。その話を聞いて、確かにその通りだと思いました。
まずは治療をしっかり学ぶことで、医師としての基礎を築きたいと考えました。当時治療と言われ、まず思い浮かんだのが救急医療で、救急車で運ばれた患者さんに対して、慌てずに適切に対応できる医師になりたいと思いました。
そのため、初期研修は東北地方で救急車の受け入れ数が2番目に多い太田西ノ内病院で行うことに決めました。研修中には救命救急センター・麻酔科の研修を最も長く取り、がん医療もきちんと経験するべきだと思い、がん患者さんが多い消化器外科も頑張ろうと考えていたんです。
でも、自分が外科をローテーション中に、手技が下手だということがわかって(笑)。指導医ともうまくいかず、これは外科から緩和ケアに進むのは難しいなと思いました。
ところが、内科研修に移った日、指導医の成田雅先生から「なんで何もしないの?」と聞かれたんですね。外科で色々怒られていたので、無意識にあまり自分から動かないようになっていて。成田先生からは「自分がやりたいように積極的に取り組んだほうがいいよ」と言われ、その言葉をきっかけに内科診療の面白さを感じていったのを覚えています。この経験がきっかけで、内科をベースに緩和ケアに進むことに決めました。
後期研修では内科を軸にという点と、ちょうど結婚を控えたタイミングでしたので、夫婦の勤務先の兼ね合いから、東京の聖路加国際病院を選びました。
幸運だったのは、後期研修プログラムに緩和ケア病棟での研修が組み込まれていたことです。当時、初期研修で緩和ケアに触れられる機会はほとんどなく、後期研修でも緩和ケアの研修ができる病院は少なかったため、3年目に緩和ケア病棟で1か月ほど研修することができたのは非常に貴重な経験でした。
学会で感じた「緩和ケアが楽しい」が進路を早めた
もう一つのキャリアのターニングポイントは、後期研修医時代にふとしたはずみで学会に参加したときのことです。
後期研修が始まる前に参加した、日本緩和医療学会主催の若手医師セミナーで、(偶然にも現在の上司になる)木澤義之先生が「専門医の資格を取ってから緩和ケアに進みなさい」と言われていました。内科でも外科でも、しっかりとした専門医にならないと、緩和ケアに行った後に困るかもしれないとアドバイスされていたのです。その言葉を聞いて、ちゃんと専門医を取得してから緩和ケアに進もうと感じました。当時の内科系専門医を最短で取得できるのが7年だったため、それまで聖路加に留まろうと考えていたんです。
しかしある日、友人の結婚式があり、東京から広島まで行くことになった際、ちょうど神戸で日本緩和医療学会が開催されていると知り、少し立ち寄ってみることにしました。学会に参加してみると、非常に面白く、たくさんの勉強になる講演ばかりでした。
その学会に聖路加で緩和ケアの指導をしてくださった松田洋祐先生も参加しており、私が「聞きたい講演が多すぎて、分身しないと間に合わないです」とお話したら「そんなに楽しいなら、すぐにでも緩和ケアに進めばいいじゃないか」と言われ、その時点でもう一度考え直しました。
専門医の資格を取ってからと考えてはいましたが、実は4年目の時点で認定内科医の資格は取得しており、「一区切りはついたかもしれない」と思い直し、予定を3年ほど早めて緩和ケアに進むことに決めました。
ご自身の中で緩和ケアへの思いが醸成されてきたものがありながら、日々の様々な先生方との対話の中で背中を押されるシーンがいくつもあるのが印象的です。
そうですね、大枠は決まってるんだけど、いつやろうかという調整をずっとしていたわけですね。
後付けの理由だとしても、選んだ道を最善のものに
当時は大学の医局に所属しないというキャリアパスは、どの診療科に行くにしても自身で切り開く必要もあり、キャリアの向き合い方や何か悩んだりしたことがあれば、その辺りも伺いたいです。
当時の大学には緩和ケアを専門的に研修できる施設がほとんどなかったので、大学に残ろうという気持ちは最初からありませんでした。
大学にこだわることはほとんどなく、市中病院で多くの患者さんを診られる方が面白いと思っていました。一方で気がかりだったのは、父が大学で博士号を取ることを強く期待していたことです。
当時、大学院で緩和ケアを専門としている医学系の研究室はほとんどありませんでした。そんな中、知り合いの先生からこ゚縁をいただき、東京医科歯科大学の松島英介先生の心療・緩和医療学分野に入学することができました。その教室は臨床研究を盛んに行われており、普段の臨床での疑問から研究を行いたいと考えていたので、臨床を続けながら社会人大学院として所属できる本教室は非常に魅力的でした。
臨床を中心にしたい思いと大学で博士号を取ってほしいお父様の思いの狭間だったのですね。
悩まれたり、壁に当たってどうしよう、となった時はどうされていましたか?
今日、1冊持ってきたのですが、これは岡西徹先生の「若手医師のためのキャリアパス論」という本です。2016年頃に緩和ケア研修中に読んだものです。
この本を読んで、これは自分の考え方にぴったり合っている!と感じました。
一般的なキャリアパスというと、「金メダルを目指しましょう」といった具体的な目標を設定して一心不乱に努力するモデルの印象があります。しかし、実際には多くの人が頑張っても金メダルを取ることはできず、金メダルを取れない人の方がむしろ多いのが現実です。この本は、クランボルツ教授の計画的偶発性理論に基づき、偶然の出来事を幸運と認識し、しっかりと捉えることの重要性について語っています。
私はその時々で最善だと思う選択をして、自分がやりたい方向に進んできました。迷うことはありますが、後付けの理由だとしても選んだ道を最善のものにするようにしていくように努力しています。もちろん、もし合わないと感じた場合には、辞めるという選択肢も持ちながら進んでいますが(笑)
選んだ道を最善のものにする、とても大切なことですね。
小杉 和博|緩和支持治療科
2011年、獨協医科大学卒業。太田西ノ内病院にて初期研修、聖路加国際病院にて後期研修後、川崎市立井田病院、国立がん研究センター東病院を経て、2024年4月より筑波大学附属病院 緩和支持治療科に勤務。40歳で初めての大学病院所属となる。