4歳から目指した外科医としてのやりがいと働き方のジレンマ 前編│あかみね在宅診療所│赤嶺洸太 先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。

今回は、千葉県柏市で、在宅医療を行う赤嶺洸太先生(あかみね在宅診療所/院長)にインタビューを行いました。
前編では、赤嶺先生の医師を目指したきっかけから在宅医療に進まれる経緯について、じっくりとお話を伺いました。

>>後編『痛感した在宅医療の課題と、パートナーシップ制度を活用した在宅診療所開業へ』はこちら

\赤嶺先生 登壇ウェビナー/
2024年10月24日 20時配信

目次

4歳の頃の自身の手術をきっかけに医師を目指す

Antaa 加藤

まずはじめに、赤嶺先生のキャリアの歩みについてお伺いさせてください。医師を目指したきっかけや、それにまつわるエピソードなどをお話しいただけますか?

赤嶺先生

医師を目指したのは、4歳の時に受けた手術がきっかけです。大学病院で開腹手術を受けたのですが、その病気はおしっこが逆流するという、小さい子どもにありがちなものでした。今でも手術の傷が大きく残っていて、そのときの痛みがすごく記憶に残っています。母親がずっと病院に付き添ってくれて、痛み止めをもらいながら術後の生活をしていました。

Antaa 加藤

術後の経過はどのような状況だったのでしょうか?

赤嶺先生

手術した晩のまだ管が入っている状態のときに、かなりの腹痛に耐えられなくなってしまいました。母が、痛みをどうにかしてほしいと当直の先生を呼んだのですが、当直の先生ではなかなか処置するのが難しかったようです。その時、たまたま私の手術を担当してくれた主治医の先生が駆けつけてくれて、すぐに管を抜いてくれたことで、その瞬間に痛みが和らぎました。その先生が神様のように感じられた瞬間でした。
その出来事を通して、「自分もあんなふうに誰かの痛みを和らげてあげられる医者になりたい」と考え始めました。そのため、医師を目指すという気持ちは4歳の頃から続いていて、そこからは特に他の夢を考えることもなく、ずっと医師になることを目指して勉強して大学に進みました。

千葉西総合病院での研修で消化器外科医の道へ

Antaa 加藤

その後、鹿児島大学の医学部に進まれたとのことですが、大学卒業後はどのような道を選ばれたのでしょうか?

赤嶺先生

私は、生まれたのは熊本県ですが、幼稚園の頃から大学までずっと鹿児島県で育ちました。その後、千葉の千葉西総合病院で初期研修を受け、外科医としてのスタートを切ることになりました。

Antaa 加藤

地元を離れて初期研修から一貫して外科医としての道を選ばれていますが、どのような思いで日々の臨床に携わっていましたか?気持ちがぶれることはなかったのでしょうか?

赤嶺先生

当初は脳神経外科医を目指していたのですが、研修を始めた千葉西総合病院で進んだのは消化器外科でした。消化器外科での研修は非常に刺激的で、様々な手術に携わることができたので、自分の中でいろいろな手術をしたいという思いが芽生えてきたんです。
脳神経外科では脳しか扱いませんが、消化器外科では様々な臓器を扱いますし、夜中の緊急手術なども含めて多くの経験をしたことによって、脳神経外科から消化器外科にシフトチェンジしていきました。

Antaa 加藤

学生時代に脳神経外科医を目指したのには何かきっかけがあったのでしょうか?

赤嶺先生

実は学生時代は不真面目で、95%ぐらいを部活動に捧げていました。勉強よりもそちらに時間を費やし、臨床実習では最低限のことをこなすようなタイプでしたが、脳神経外科を回った時に楽しく手術に参加できていると感じたことが大きなきっかけでした。開頭手術に立ち会ったとき、脳みそに惹かれましたね(笑)また、脳神経外科に進もうと思ったのは、その教授が僕のことを可愛がってくれたのも影響しています。

Antaa 加藤

脳神経外科から消化器外科へのシフトで迷われたことはありますか?

赤嶺先生

そのあたりのことでは迷わない性格ですね。実際に初期研修で消化器外科を回って、消化器外科への想いを感じた時に、消化器外科の先生たちに「僕はここで外科医になります」と宣言したくらいなので、あまり迷いはありませんでした。

Antaa 加藤

ご自身の気持ちをしっかり受け止めて行動に移したんですね。素晴らしいです!

赤嶺先生

ありがとうございます。良し悪しはあると思いますが、私はそういう性格なので直感で動けましたね。

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Antaa 加藤

そして、外科医としての専門医を取得された後、千葉西総合病院でのキャリアを築かれましたよね。在宅診療にキャリアチェンジするきっかけについてもお聞かせいただけますか?

赤嶺先生

病院での消化器外科医としての仕事にはやりがいを感じていて、自分でも天職だと思っていました。夜中呼び出されたり、土日にも仕事があったりしましたが、それが忙しくて嫌だというのはまったくなく、楽しんでキャリアを歩んでいました。
キャリアチェンジの一番大きなきっかけとなったのは、今年度から始まった医師の働き方改革の影響で、これまでのような働き方が改善されると認識するようになったことです。当直が終わったら帰らなければならない、緊急手術に入りたいけど入れない、自分が手術した患者さんを他の先生と分担制で診ることになってくるだろうということで。「自分が思い描いていた外科医とは変わってしまうなら、続けたくないな」という思いからキャリアチェンジを考えるようになりました。

Antaa 加藤

そういった思いがあったのですね。初めから在宅医療に興味を持たれたのでしょうか?それともいくつか選択肢があったのでしょうか?

赤嶺先生

いろいろ考えて、開業というのはひとつ頭にあったのですが、個人で開業するのは修羅の道だなと思い、なかなか踏み出せませんでした。ほかの選択肢としては、美容外科も考えました。
美容外科は自分の外科の技術を活かせるという点と、働き方としても時間に縛られないイメージがあったので、一つの選択肢として考えました。

赤嶺先生

また、キャリアチェンジしようと思ったきっかけの中に家族との時間というのもありました。子供ができたタイミングでしたし、外科医としての生活では子供が起きている時間に帰れず、子供が私の顔を覚えていないくらいの感じだったので。たまに土日に遊んでいても病院に呼び出されることが多く、子供には「パパは病院に帰るんだ」と病院にいる人だと思われてしまっていて……。子供の一番大事な時期に子供とかかわることができない親ではいたくないなという想いもありましたし、家族との時間も作りたいなという想いもあったので、休みもしっかりとれて外科の技術を活かせる美容外科がいいのではと思っていました。

Antaa 加藤

キャリアチェンジの方向性とご家族の時間を考えて働き方を模索されていたのですね。

赤嶺先生

その中で出会ったのが当直中に見た「医療法人白青会 いしぐろ在宅診療所」のWebセミナーでした。このWebセミナーでは、在宅医療で開業している先生方が「在宅医療とはこういうものだよ」という発表をされていました。興味を持ってみていたわけではありませんが、白青会のパートナーシップ制度は毛色が違ったので、在宅医療の開業が明確にイメージ化されて、アリだなと思うようになりました。
パートナーシップ制度では、個人での開業のように不安を感じることもなく、美容外科などのちょっと先行き不透明なものに進むのでもなく、在宅医療はこれから絶対に需要も増えてくるだろうというところで、まじめにやれば仕事も軌道に乗るんだろうなというイメージがわいたので、在宅医療で開業してみたいなと考え始めました。

Antaa 加藤

それまでは、アルバイトなどで在宅診療や訪問診療の経験はなかったということでしょうか?

赤嶺先生

全くの初めてでした。

Antaa 加藤

先生が感じていた外科医としてのやりがいと、在宅医療の開業だとモチベーションの置き方が違ってくるのかなと思うのですが、そのあたりは踏ん切りをつけられそうなものでしたか?

赤嶺先生

自分の中でやりがいを感じていた千葉西総合病院での外科医生活は、ある程度やり切った感が強かったんです。
自分の中では「この手術をやりたい」っていう明確な目標がずっとあって、それをやらせてもらえるようになったことで達成感もあり、外科医を辞めることに後悔ややり残したことはありませんでした。


赤嶺 洸太|消化器外科、在宅医療

鹿児島大学医学部卒業。千葉西総合病院にて初期研修、専攻医プログラムを経て、外科専門医を取得。2024年に医療法人白青会 パートナーシップ制度を利用して、あかみね在宅診療所を開業。

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