「在宅診療科」がない?!進路に迷いつづけた研修医時代  前編│医療法人 白青会│石黒 謙一郎 先生

医師の新しいキャリアや働き方にフォーカスする「D35」は、実際に医師の可能性を広げられている先生にインタビューし、可能性を広げた先にある景色、そして、そこに至るまでの障壁や葛藤についてお話を伺っています。

今回は、愛知県で在宅クリニックを経営する石黒 謙一郎先生(いしぐろ在宅診療所/院長)にインタビューを行いました。
前編では、石黒 謙一郎先生が医師を志し、そして在宅医療に興味を持つまでの経緯について詳しくお話を伺いました。

>>後編『「3年後開業」宣言して入局、在宅診療所開業への挑戦』はこちら

目次

浪人をきっかけに目指した医学部の世界

Antaa 加藤

医師を目指したきっかけを教えてください。

謙一郎先生

僕が医師を志したのは、大学受験に失敗したことがきっかけです。現役時代の大学受験で全て落ち、自分を受け入れてくれたのは予備校だけでした(笑)せっかく浪人するなら高い目標を持とうと思って、予備校の申し込み時に、理系コースと医学部コースが同じ料金だったこともあり「同じ金額だし、せっかく浪人するなら、医学部コースにしてがんばろうかな」と医学部コースを申し込みました。この選択が、結果的に僕の人生を大きく変えることになったんです。

Antaa 加藤

そして、藤田医科大学に進学されることになったのですね。
学生時代はどのように過ごされていましたか?

謙一郎先生

医者になりたいから医学部に入ったというよりは、浪人の目標として医学部を目指しただけという感じだったので、医学部に入った当初は、将来のビジョンがまったく見えていませんでした。授業はなんとなく出席していましたが、その他はサッカー部でサッカーばかりしていて、正直、医師としての明確な目標はありませんでしたね。

Antaa 加藤

大学生活ではサッカーに夢中だったのですね。
大学生活で、他に進路に影響を与えた出来事はありましたか?

謙一郎先生

医学部は縦社会が強く、新入生歓迎会では、1年生は全員スーツと白い靴下、黒いネクタイで、大会の打ち上げでは、1年生は1人ずつ、先輩の合格がでるまで一発芸をやらなければならないという感じでした(笑)医者家系ではない僕にとって、そういう文化は初めての体験でしたので、これから生きていく医者の縦社会というものを学ばせていただきました。社会勉強をさせていただいたという点で、今ではとても感謝しています。
でも、自分がさせられるのは我慢できても、後輩にさせるのはいやでしたね。今でも、年功序列の考え方は好きではないです(笑)

8割の人が最期を自宅で迎えられない現実を知り、在宅医療の道へ

Antaa 加藤

在宅医療に興味を持ったきっかけを教えてください。

謙一郎先生

医学部3年生の時「皆さん、どこで死にたいですか?」という授業がありました。僕はぼんやりと「自宅がいいかなあ」と思ったのですが、現実には約8割が病院で亡くなっているという事実を聞いて、衝撃を受けました。自分を含め、多くの人が最期まで自宅で過ごしたいと思っているのに、自宅に行く医師が少ないためにその願いが叶わないと知り「自分が自宅に行く医師になれば、自分もみんなも、最期まで家で過ごせるかも」と思ったのが、在宅医療に興味を持ったきっかけです。

Antaa 加藤

その経験が在宅医療を志すきっかけになったのですね。

謙一郎先生

はい。夏休みにすぐ、在宅クリニックに1人で見学に行きました。患者さんの家を訪問したりして、在宅医療の現場を初めて学びました。そこで、実際に在宅医療に関わる先生たちと話すことができ、他のクリニックも紹介して頂いて、さらに見学に行き、というように、どんどんと在宅医療に関しての解像度が上がっていきました。

Antaa 加藤

自分の進むべき道が見えてきたんですね。

謙一郎先生

そうですね。見学した在宅クリニックでは先生が早くから開業されていて、その姿を見て、早く開業するという選択肢もあるんだなと思うようになりました。

医学生時代の葛藤、なぜ「在宅診療科」の進路がないのか

Antaa 加藤

その時に在宅クリニックの開業を意識されたのですね。

謙一郎先生

はい。でも、そこからがとても大変でした。将来、在宅医療をやりたくても病院には「在宅医療科」が無いんです(笑)在宅医療をやるには、何科に入局すればよいか、全くわかりませんでした。サッカー部の先輩や、大学病院で働く先生たちにも相談しましたが、みんな「在宅医療をやる前に、まずはきちんと専門を持ち、一人前の医師になった方がいい」とアドバイスをくれました。でも、僕は早く在宅医療に関わりたい気持ちが強くて、悩んだ時期もありました。今思えば、僕が相談した先輩や先生たちは、みんな優しかったんだと思います。石黒が、わけもわからず「在宅医療!」って言ってるので、まずはちゃんとした医師にしてあげないとな、まずは後輩として同じ科に入局させて、きちんと教えてやるかな、という感じだったんだと思います。

Antaa 加藤

周囲との意見の違いに葛藤があったのですね。
どのようにその問題を解決されたのですか?

謙一郎先生

在宅医療に興味を持つほど、周囲との意見の違いを感じ、誰が正しいのかもわからなくなり悩んでいました。しかし、ある時「質問は、誰に質問するかが大事だ」と教わり、目が覚めました。「ロケットを作りたいなら、実際にロケットを作ったことのある人に聞け」というアドバイスは目からウロコでした。それからは、大学病院やサッカー部の先輩ではなく、在宅医療を実際にやっている先生たちに、さらに話を聞きに行くようにしたんです。

Antaa 加藤

具体的にはどのようなことをされたのでしょうか?

謙一郎先生

休みを利用して、さらにいくつかの在宅クリニックを見学し、在宅利用に関わっているいろいろな先生たちから直接話を聞きました。開業医の先生たちは、それぞれ個性があり、自分のクリニックの色をもっていて、とても充実して見えました。いろいろな開業医の先生たちの話を聞く中で、自分だったらこういう在宅医療をするために、こういうクリニックがいいな、そんなクリニックを自分で開業してみたいな、と思うようになっていきました。開業に関しては、親が自営業をしていた影響もあり、会社勤めよりも自分で経営するほうが面白そうだと感じていたところもあるかもしれません。

Antaa 加藤

実際に在宅医療に携わる先生方から、様々な刺激を受けたのですね。
開業へ向けての第一歩は、どのようにされたのでしょうか?

謙一郎先生

そうですね。実は弟の石黒剛先生(以下、剛先生)にも在宅医療の話をすることがあり、それがきっかけかはわかりませんが、当時医学生だった彼は地元の豊田市役所に行って地域医療ニーズを確認するなど具体的な行動を始めたみたいです。剛先生は、その活動を通じて地元の豊田市のいろんな先生を紹介してもらったり、関連するデータをいただいたりしていて、それを元に在宅クリニックの事業計画書を作ってみたらしいんです。この、剛先生が学生時代に夏休みの課題的に作った事業計画書が、具体的に開業に向けた最初の一歩となりました。

Antaa 加藤

素晴らしい行動力ですね。

謙一郎先生

昔も今も、剛先生の影響は大きいですね。もともと彼はDr.コトー診療所のドラマを観て医師を目指したようで、在宅医療にも興味があったようですが、救急医療により強い関心を抱いていたようです。

Antaa 加藤

兄弟で異なる興味を持ちながらも、お互いに影響しあっているのですね。

謙一郎先生

そうですね。兄弟でたまたま医学部に入りましたが、興味の方向性は少しずつ違っていました。それでも、在宅医療に関する興味が少しずつ重なってきた感じがしています。これは本当に奇跡的だったと感じています。

初期研修は地元を離れ東京へ、別れと新しい出会い

Antaa 加藤

東京で研修医をされたのですね。
東京の病院を選んだ理由を教えてください。

謙一郎先生

学生時代から在宅クリニック開業を考えていたものの、具体的な時期は決めていませんでした。つまり、どこの科に入ればいいかもわからず、どこの病院に行けばいいかもわからず、いつ開業するかもわからず、モヤモヤと悩みを抱えている状態が続いていたんです。なので、初期研修は割り切って、当時の彼女の家に最も近い、東京都保健医療公社荏原病院を選びました!(笑)ところが!彼女のところに転がり込むつもりで東京に行ったんですが、東京に着いて3日で振られてしまいました……(笑)

Antaa 加藤

それは大変でしたね……。

謙一郎先生

想像以上にショックでした!(笑)彼女の家に泊まる予定で引っ越したので、布団も買っておらず、振られた夜は、フローリングの上でタオルにくるまって寝たのを覚えています。まだ3月だったので夜は冷え込み、心身供にとても寒かったです(笑)結局、数日間フローリングで寝て過ごした後、ニトリで布団を買いました。

Antaa 加藤

辛い社会人デビューになりましたね。

謙一郎先生

はい。でも、ニトリの布団は、とても温かく僕を包み込んでくれました(笑)その後、半年ほど落ち込んでいましたが、初期研修の中で出会った同期たちと飲み会で少しずつ元気を取り戻しました。その後、今の妻と出会うこととなりました。当時の別れた彼女がきっかけで東京に行き、新たな出会いがたくさんあったわけなので、彼女にも感謝していますし、東京へ行ったことは今でも後悔していません。

Antaa 加藤

研修医生活はいかがでしたか?

謙一郎先生

初期研修ではいろんな科を回り、楽しかったのですが、やはりいずれは在宅医療をやりたいと思っていました。ただ、初期研修中でも、どの科に入れば在宅医療に関われるかは、わからないままでした。手技や処置は好きだったので、外科に進むか、IVRをやりに放射線科に進むかで悩んだ時期でもありました。
その中で、将来は在宅医療で緩和ケアをやっていくとして、まずは同じ癌でも、治る患者さんと治らない患者さんをしっかり診て、その中で緩和ケアも勉強していくのもよいかなと考え、母校の藤田医科大学の消化器外科に入ろうと決め、書類を提出しました。
しかし「やっぱり、なんか、違うかも・・・!」と思い、入局直前の2月に消化器外科への入局を取りやめました。教授に呼び出されて面談し、2時間程度面談していただきましたが、最後にはご理解いただいて、入局を辞めることとしました。その後のたった1ヶ月間で、次の入局先として放射線科に進むことに決めました。今振り返っても、自分が進みたい「在宅医療科」がないことで、本当にキャリアについて迷っていて、自分も大変だったですが、いろいろな方にご迷惑をかけ申しわけなかったと思っています。


\石黒先生 登壇ウェビナー/
2024年10月24日 20時配信

石黒謙一郎|在宅診療

2013年藤田医科大学(当時、藤田保健衛生大学)卒業。東京都保健医療公社荏原病院にて初期研修終了後、聖マリアンナ医科大学・放射線科、藤田保健衛生大学総合診療・家庭医療プログラムを経て、2019年に現在のいしぐろ在宅診療所を開業。

このページをシェアする
目次